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中医学における「脾」とは何か [蔵象観の起源と真実]

中医学による「脾」の機能の誇張が、『黄帝内経』における臓腑を医学的な臓器機能を超越した複数の臓器機能を包含した概念であるとする、誤謬を生み出す契機となっています。

『黄帝内経』の編纂当時(約二千年前)に脾臓の機能や病態を知ることは不可能でした。恐らく、内部にある血液の観察や、隣接する胃との位置関係や血管を介した連絡からその機能を想像したものと考えられます。解剖学的には、左胃動・静脈が胃と脾を包む固有網嚢の中を通過しており、胃と脾は胃脾間膜によって固定されています。『素問』太陰陽明論篇には、「…脾与胃.以膜相連耳.」と記されており、これは胃と脾が膜によって連なることを示したものであり、胃脾間膜を認識していた証拠と言えます。また、肝硬変患者を死亡後に解剖し、肝臓の状態とともに、脾腫の存在に気づき、生前の病症と対照させて機能や病態を想像したことも推測されます。しかし、これらの「脾」の機能は、本来の脾臓の機能やその病態とは無関係であることに留意すべきです。

では先ず、『黄帝内経』に記された「脾」の機能と病態を示し、それぞれの根拠となる記述について、原文と訳を示して説明します。

機能
・倉廩
・水穀の運化
・裹血 
・四肢を主り、肌肉を主る

病態
・四肢不用    
・腫満

・倉廩とは
『素問』霊蘭秘典論篇:「脾胃者.倉廩之官.五味出焉.」
訳:脾胃なるものは.倉廩之官.五味焉より出ず.
 「倉廩」とは倉のことであり、食物を貯蔵する臓腑であると考え、味覚が生ずるとも解説しています。これを、中医学書では、「脾」の機能には消化機能も含まれるとして、膵臓の機能までも含めた概念であるなどと解説していますが、現代医学における消化を意味するものではなく、単なる過大解釈に過ぎません。倉廩とは倉庫であり、食物を貯蔵する臓器として認識している。
五味が生ずるとは、現代的に言えば栄養素を分配することです。これは、味がそれぞれの好む所へ行くとする考えであり、その向かう先は五行説による配当によって分類する考えです。現代医学的な消化吸収を連想させる記述ではありますが、同一のものではありません。食物中の五味が分かれて「脾」より出ていくと考えているのです。この認識は胃に分布する血管と脾臓との血管を介した連絡を見ての発想です。これを、単純に、医学的には脾臓に消化吸収作用が無いことから、膵臓の機能を示したものとして解釈するのは、医学知識を持つ現代人の誤解に過ぎません。『黄帝内経』の時代においては、医学本来の消化吸収は認識できていないのです。さらに、中国の歴史において、西洋医学が導入されるまでは膵臓の存在は認識できていませんでした。まして、膵臓が消化に関与することなど知る由も無かったのです。「脾」の機能は、隣接する胃との位置関係や血管を介した連絡から、何らかの物質的要素が運ばれて分配されると想像したものに過ぎません。


・水穀の運化とは
 「運化」は『黄帝内経』には存在しない記述ですが、中医学書では、食物中の水分の運搬をそのように呼んでいます。

『素問』経脈別論:「飲入於胃.遊溢精気.上輸於脾.脾気散精.上帰於肺.」
訳:飲,胃に入れば、精と気を遊溢し、上りて脾に輸す.脾気は精を散じ、上りて肺に帰す.
 この記述は、「経脈別論にみる初期素問の生理観」ですでに解説していますので、簡単に説明しますと、「脾」の機能を食物中の水分を肺へ運搬することと考えています。

『素問』厥論篇:「脾主為胃行其津液者也.」
訳:「脾は胃の為に其の津液をめぐらすことを主る者なり.」
 この記述も、経脈別論と全く同一であり、水分の運搬を示すものです。これを中医学書では、「消化機能は脾の運化機能に依存しており、それにより、水穀の清微に変化させることができる。また、脾の輸布と散清の機能により、水穀の清微は全身に送られる。」などと解説しています。さらに、「脾の運化機能が失調、すなわち「脾失健運」になると、食欲不振、倦怠感、消痩、気血生化不足などの病変がおこる。」とも記されています。しかし、前述したように、「脾」に消化吸収作用があるとする認識は、医学知識の先入観による拡大解釈であり、『黄帝内経』の記述にはそのような機能は存在しません。

・昇清を主る(中医学書による)とは
「昇清」は、『黄帝内経』には存在しない記述であり、最近になって作られた言葉です。
胃に分布する血管が脾臓へと向かう走行関係から、「上る」と表現したものであり、さらに、脾臓から上方の肺へと運搬すると想像しています。この認識を拡大解釈して、「脾の昇清機能」なる言葉を作り、「昇清機能によって、水穀の清微を心、肺、および顔面部へ上らせ、心肺で気血を化生し、栄養を全身へ送る」と解説しています。さらに、「脾気の昇発がうまく行われていると、内臓の下垂はおこらない」とまでも解釈を広げています。このような、根拠のない拡大解釈によって、「脾」は昇精機能によって精を上方へ上げる作用を有してあらゆる物を上げる作用があるとする、不可解な理論が出来上がり常識化してしまいました。

・裹血とは
『難経』四十二難:「脾裹血.温五蔵.」
訳:脾は血をつつみ.五蔵を温める
 本稿は、中医学の原点である『黄帝内経』の記述を対象としています。この解説は『難経』を根拠としていますが、検証の都合上解釈します。『難経』四十二難には、「脾の重さ二斤三両、扁広三寸.散膏半斤あって.血を裹むことを主る.五蔵を温め、意を蔵すことを主る.」と、記されています。この意味は、「脾蔵には脂肪が半斤ほど散り付着していて、その中には血脈があって血が包蔵されている。」です。すなわち、端的に言えば、脾臓の解剖観察の記述です。因みに、『黄帝内経』には臓器を定義づけられるような記述は存在しません。
 
医学的に説明しますと。脾臓は、その質が柔軟で周囲臓器に影響されるため定形を示しませんが、一般的には、内外方向に扁平な長楕円形を呈することが多く、長さは平均10.5cm、重量は約90~120gです。『難経』の「重さ二斤三両」とは、一斤の重量は時代によって違いますが、漢代の一斤は現在よりもずっと少なく、223g程度で、1斤=16両(1両=14g)の関係は現在と同じであるため、約500gと考えられます。これは通常の脾臓の重さと比較すると大分重くなりますが、含有する血液の量によって著しく変化します。また、病的状態では重量が増して、慢性骨髄性白血病では4~5kgにも達することがあるため、『難経』による重量の記述は十分にあり得ると言えます。記述にある、「散膏半斤あって.血を裹む(つつむ)」の脂肪と血液の、血液とは赤随のことであり、脂肪は白随を意味するともの考えられます。赤髄は、毛細静脈管である脾洞およびリンパ様組織からでき、新鮮な状態では多量の血液を含んで暗赤色を呈します。白髄は一般のリンパ小節に一致した構造を示し、胚中心をもち灰白色の斑点として赤髄とは明らかに区別できます。血をつつむとは、内部に多量の血液を含むことを示唆したものであり、脂肪は白髄を誤解したものと考えられます。脾臓内部の観察はしていますが、当時としては肉眼的な情報以上を知ることはできず、その機能を知る手だても無かったのです。
 
中医学書では、「統血作用」なる機能として、「血が経脈中を巡航するよう統括して脈外に溢れ出るのを防ぐ機能である。したがって、脾の運化機能が減退し、気血生化の源が不足すると気血は虚損状態となり、そのために気の固摂作用が衰えると出血が起こる。血便、血尿などの多くはこのようにして起き、これを脾不統血と称す。」などと解説しています。しかし、『黄帝内経』にはそのような記述は存在しません。また、本質を理解した上での健全な発展の結果できた認識と言えるものではありません。
 
「脾の統血作用」とは、都合良く後付された概念に過ぎません。「血を裹む」とは、脾臓の内部を観察した結果の記述に過ぎず、その機能異常と出血性疾患を結びつけたと解釈できる記述は存在せず根拠もありません。当然ながら、脾臓は、生後は細網内皮系に属する臓器の1つとして赤血球を破壊すると同時に、造血臓器としてリンパ球の生産にあずかることを認識したものではありません。

但し、出血に関する記述として、『素問』:気厥論篇の「脾移熱於肝.則為驚衄」があります。これは、「脾の熱が肝に作用して鼻血が出る」とする内容です。医学的には、肝硬変の患者の血小板減少による出血傾向に脾機能亢進が関与し、脾摘や部分脾動脈塞栓術(PSE)により血小板数の改善と肝予備能の改善が得られます。無論、当時にこのような認識は不可能ですが、少なくとも現代中医学の考えとは全く逆であるとは言えます。

・主四肢・四肢不用・主肌肉とは 
『霊枢』本神篇:「脾愁憂而不解則傷意.意傷則悗乱.四肢不挙.毛悴色夭.死於春.」
 訳:「脾愁憂して解けざれば則ち意を傷り.意傷れば則ち悗乱し.四肢挙がらず.毛悴れ色夭しく.春に死す.」

これは五行説による配当です。陰陽五行説とはこの時代の自然観に過ぎず、医学と思想は切り離すべきと考え、本稿においては解釈の対象とはしません。同様に、以下の解説も五行説による配当を示したものであり、医学的に無意味と考えられるため、解釈の対象とはしません。
『素問』五蔵生成篇:脾の合は肉なり。
『素問』陰陽応象大論:脾は肉を生じ。
『素問』痿論:脾は身の肌肉を主る。

・腫満とは
『素問』至真要大論篇:「諸湿腫満.皆属於脾.」
訳:「もろもろの湿腫満は.皆脾に属す.」
多くの湿や腫れてむくむのは、皆脾による。  
胸水、肺水腫、および腹水などの水が溜まる病症を、「脾」の機能異常によるものと考えていますが、この認識も、経脈別論に記された脾による腹腔内の水の運搬作用と同様の認識です。すなわち、肝硬変に合併した脾腫の観察と腹水とを関連づけ、脾の機能異常によって水の運搬作用が障害されると想像したものです。また、『素問』蔵気法時論篇に、「脾秒者.身重.善瘛.脚下痛.虚則腹満腸鳴.飱泄食不化.」と記された、下痢である「飱泄」も、水の運搬の異常として認識したものです。

蔵象学説における「脾」とは

『素問』霊蘭秘典論篇の「脾胃者.倉稟之官.五味出焉.」は、食料の倉庫として認識
したものであり、この記述を以て、「脾」の機能を医学的な消化吸収まで拡張して捉えるべきではありません。経脈別論に記された「脾」の機能は、食物中の水分の運搬のみです。これは、血管を介した構造的関係性からの発想に過ぎないものです。『黄帝内経』当時には消化吸収の正しい知識は存在していません。現代医学の知識が先入観となり、古代の記述を誤って解釈して「脾」には消化吸収機能もあると思いこむことで、消化酵素を分泌する膵臓の機能も含めた複合的な概念であると過大解釈しているのです。そもそも、中国においては、西洋医学が導入されるまで膵臓の存在そのものが知られてはおらず、まして、膵臓が消化酵素を分泌することなど知る由もなかったのです。尚、「膵」の文字は、宇田川玄真の「医範提綱」(1805年)によって初めて記された日本製の文字です。

この「脾」の誇張された機能が、中医学における臓腑を、医学的な臓器機能を超越した複数の臓器機能を包含した概念であるとする誤謬を生み出す契機となっていることは重要です。中医学が暗黙の内に盲信している『黄帝内経』の誤謬性のほぼ全てが、同様の過大解釈によるものです。二千年以上もの昔の人間による、素朴な自然観と思想を基にした診療理論を未だに、信じ続けることの愚かさを認識すべきです。

現在でも尚、中医学を診療理論としている人たちを批判覚悟で例えるならば、今でも看護師によって信奉されているナイチンゲールの存在が思い浮かびます。ナイチンゲールは看護論の創始者で、彼女が行った衛生面での改革によって傷ついた兵士の死亡率が大幅に改善されました。しかし、それは結果的なことであり、背景となった理論は、彼女の時代より2000年も昔のヒポクラテスの医学でした。彼女は、ヒポクラテスの熱心な信奉者であり、「瘴気論」の推進論者でした。「瘴気miasmaミアズマ」とは、疫病の原因のことで、病人や土地から放出されて空気中(この時代では物質としての空気は未だ認識していない)に存在する有害な物であると考えられていました。彼女は、この環境中の悪い空気を追い出そうとして、病室の換気や採光を心がけたことで兵士の感染症が激減し、結果的に死亡率が減少したのです。その行為は結果的には良かったのですが、科学的な根拠は全くの誤りであり、理論的には稚拙な古代の思想のままでした。中医学を信奉する人たちの意識も全く同様であると、私には思われます(時代的にも)。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


中医学における「肺」とは何か [蔵象観の起源と真実]

二千年以上昔に編纂された古代中国の医学書である『黄帝内経』にも、「呼吸」の文字が記されています。しかしそれは、現代医学における呼吸の意味とは異なるものです。このことに留意して読まないと、現代中医学の、蔵象観における「肺」の解釈のような過ちを犯すことになります。
 
西洋医学を翻訳する際に、古典の記述から「呼吸」の文字が使用されたことに加え、現代人なら誰もが知っているため、古代中国においても医学的な呼吸を知っていたものと錯覚してしまうのです。しかし、『黄帝内経』における「呼吸」とは肺のガス交換を意味するものではありません。

呼吸と聞けば、現代人であっても「呼吸運動」を思い浮かべるでしょうし、呼吸の状態は肺の病状を示すものとして重要な症状ではあります。しかし本来、呼吸の意味とは、肺胞内の空気と血液および血液と組織細胞との間のガス交換のことです。さらに言えば、生化学的にはATPを合成するための酸化的リン酸化反応のことです。正にこれこそが、ガス交換によって細胞組織へと運搬された酸素の役目であり、それは一連の呼吸反応におけるアンカーとしての存在です。

では、『黄帝内経』における呼吸とは如何なる機能でしょうか。その「呼吸」の文字が本来意味することを検証すると、現代中医学の蔵象観の問題点が明らかとなります。

現代の中医学書には、肺は「一身の気を主る」や、「呼吸の気を主る」、あるいは「呼吸を司る」などと記されています。そして、これは「肺が体内外の気体交換を行う場所であり、肺の呼吸を通じて自然界の精気を吸入し、体内の濁気を呼出するからである。」と説明されています。

しかし、これらの解説は、現代医学を都合良く借用して『黄帝内経』の認識を歪曲して解説した詭弁と言えます。『黄帝内経』にはこのような記述も、認識も存在しないのです。そもそも、物質としての空気の存在やガス交換としての肺呼吸など、全く知る由もなかった古代の人間には不可能な認識なのです。要するに、吸った空気と吐き出した空気の物質的違いなど想像すらしていないのです。しかも、「精気を吸入し、体内の濁気を呼出する」とする解説は、医学知識を拝借したにしてはあまりにも稚拙と言えます。

先ず、「呼吸」を認識していたとする中医学書による解説の根拠について、原典の記述を基に検証します。

『黄帝内経』に記された「肺」の機能と病態 

機能
・気を主り、呼吸を主る
・通調水道
・百脈を統括する

病態
・喘咳

尚、「通調水道」と「百脈の統括」については、以前に「経脈別論に見る初期素問の生理観」にて解説済みであることと、その理論は生理学的には無意味であるため省略します。

機能

『霊枢』邪客篇:
 「故宗気積干胸中.出干喉嚨.以貫心脈.而呼吸焉」

訳:「故に宗気は胸中に積み.喉嚨に出で.以て心脈を貫き.而して呼吸を行う.」
 「宗気」の説明は「絡脈」の解説で述べていますが、簡単に説明しますと、心窩部に感じられる鼓動の本体(心臓の拍動とは認識できなかった)として想像したものであり、この力を脈の原動力として捉えています。同時に、この篇では、呼吸の動作の原動力として想像したものであり、呼吸の本質的意味を示したものではありません。

『霊枢』動輸篇:
 「胃為五蔵六府之海.其清気上注干肺.肺気従太陰而行之.其行也.以息往来.故人一呼脈再動.一吸脈亦再動.呼吸不巳.故動而不止.」

訳:「胃は五臓六腑の海と為す.其の清気は上りて肺に注ぎ.肺気は太陰に従いて行く.その行くこと.息を以て往来す.故に、人一呼にて脈再動し.一吸にて亦再動す.呼吸やまず.故に動じて止まず.」
 胃から上る清気とは、「動脈中に存在すると考えた何らかの作用・力」を意味し、呼吸の動きを脈の原動力として捉えた認識です。つまり、呼吸の動きを、恰もポンプ作用のように見立てた発想です。

『素問』陰陽応象大論篇:
 「天気通於肺.地気 通於溢.風気通於肝.雷気通於心.谷気通於脾.雨気通於腎.」
 
訳:「天気は肺に通じ.」
 この節では、自然現象になぞらえて、それぞれの臓腑を配当しています。医学的な呼吸を示唆するものではありません。

『素問』五蔵生成篇:「諸気者.皆属於肺.」
 
訳:「諸々の気は.皆肺に属す.」
この考えは、「経脈別論」の解説と同様であり、上行大動脈を気管と誤認し、"気"すなわち動脈中にある「何らかの力・作用」が肺に属すと考えたものです。

病態

『素問』五蔵生成篇:「咳嗽上気.厥在胸中.」
 
訳:「咳嗽上気は.厥胸中にあり」
 咳と、上気(気喘)、すなわち呼吸困難は胸中に原因があると考えています。 

『素問』蔵気法時論篇:「肺病者.喘咳逆気.肩背痛.汗出.尻陰股膝.髀腨胻足皆痛.虚則少気不能報息.耳聾嗌乾.」

訳:「肺病なる者は.喘咳逆気し.肩背痛み.汗出で.尻陰股膝.骨盤ふくらはぎ脛足皆痛む.虚則ち少気して息できず.耳聞こえず喉乾く.」 
 症状として、咳をしてあへぐ、呼吸困難、肩背が痛み、汗が出るは発熱、細菌の転移による関節炎、および急性中耳炎によると考えられる聴覚障害など、何れも肺炎による症状です。恐らく、肺病者とは細菌性肺炎の症状を示したものです。

『素問』大奇論篇:「肺之雍.喘而両胠満.」

訳:「肺の雍(よう).喘して両胠満す」
肺が塞がると、呼吸困難となって両脇が膨満する。喘息が考えられる。

『素問』標本病伝論篇:「肺病喘咳.三日而脇支満痛.一日身重体痛.五日而脹.十日不已死.」

 訳:「肺病は喘咳し.三日にして脇張って痛み.一日にして身重く痛む.十日にして已えざれば死す」
 肺炎の急性発症としての、悪寒、発熱の記載はありませんが、臨床症状の中心となる、胸痛、呼吸困難、せきが記され、また、細菌の転移によると考えられる、関節炎の症状が記されおり、死亡することも記されていることから細菌性肺炎の可能性が高いと考えられます。

以上をまとめますと、蔵象学説における「肺」とは。

中医学書が、肺の機能として示している「呼吸」の記述は、その全てがガス交換機能を認識したものでないことは明白です。『黄帝内経』に記された「呼吸」は、医学的な本来の「呼吸」を意味するものではありません。

呼吸の文字は、上古天真論篇に「…有真人者…呼吸精気.」と示されていますが、この「呼吸」の文字の意味は医学的な呼吸とは違います。張景岳の説によれば、「呼は、天に接しているから気に通じる」、「吸は、地に接しているから精に通じる」と記されており、それは、真人の能力として想像したものです。

さらに、最近の中医学書には、肺の機能として「宣発と粛降」作用なるものが記されています。「宣発」は、肺の気化作用を通じて、体内の濁気を排出する作用で、「粛降」とは、自然界の精気を吸入し、呼吸道の清潔を保持する作用と解説されています。この最もらしい解説をそのまま信じている鍼灸師も多いのではないでしょうか。

『素問』蔵気法事論篇の「肺苦気上逆」や、至真要大論篇の「諸気膹鬱.皆属於肺」には、肺の病症として、息が急迫してあえぐさまが記述されてはいます。しかし、「宣発・粛降」のような『黄帝内経』には存在しない単語を創作して、「肺気失宣」や「肺失粛候」などの病変によって咳嗽や喘息が起こるとして説明することに、医学的価値はありません。

また、『素問』五蔵生成篇の、「肺之合皮也.其栄毛也」についての解説はあまりにも非医学的です。中医学書では、「中医学では汗孔のことを気門と称しているが、汗孔は汗の排出を行っているだけではなく、実際上は肺の宣発・粛降により体内外の気体の交換も行っている。」また、別の解説では、「肺は呼吸器であり、皮膚にも呼吸作用があるので、」などと記されています。

汗腺は汗を分泌し、この汗の蒸発による気化熱の発散によって体温調節を行っている排泄器官に過ぎません。「皮膚呼吸」と呼ばれる言葉は、いい加減な映画やテレビなどでは時折聞かれる言葉ですが、全くのデマであり、医学知識が欠如した極めて稚拙な解説です。

肺の病状は、咳や呼吸困難、胸部の痛みなどから、古代の人間にも想像し易かったであろうと思われ、肺炎や喘息を特定の疾患として認識しています。しかし、認識し得たのは症状のみであり、その症状発現のメカニズムや病態を科学的に究明しようとする問題意識はありませんでした。症状発現の原因として考えたことは、陰陽虚実や、風邪、湿邪など、当時の思想や自然観による解釈であり、その後もここから進歩することはありませんでした。
 
『黄帝内経』編纂当時にも、食物から何らかの物的要素や作用・力を得ていることは想像していますが、医学的な意味での栄養素ではありません。同様に、息を吸い込むことは解っていても、物質の認識が無かった時代であり、空気の存在を知ることも不可能でした。何を吸い込み、吸い込んだ物が体内でどの様に働くかについては何も想像してはいないのです。注目しているのは呼吸の動作であり、これをポンプの様に見立てて脈の運行の動力源として捉えているのです。

『黄帝内経』編纂当時は、「木、火、土、金、水」を世界の根元物質とする「五行説」の時代でした。西洋でも、エンペドクレスやアリストテレスらによって「水,土,空気,火」を根元物質とする「四元素説」が唱えられており、世界各地に同様の思想が存在していました。これらは遙か古代の思想史の話ですが、現代においても、この陰陽五行説を深謀して診療している古典派は多く存在します。

因みに、同時代の西洋医学の認識を見ると。当時は中国と同様、血液が循環するという 考えは全くありませんでした。「基礎医学の祖」と言われる、ガレノス(Claudius Galenos; 130-201)は、腸管で吸収された栄養素は静脈によって肝臓に運ばれ、ここで「自然のプネウマ」を受けて血液が造られると考えていました。造られた血液は大静脈によって心臓の右室に運ばれ、その後、肺に運ばれて浄化され、肺動脈によって心臓の右室に戻ると考えました。外界から肺に入った空気も「自然のプネウマ」となり、静脈によって心臓の左室に運ばれ、ここで右室からきた血液と混じることで(右室と左室の間の隔壁には孔があると信じられていた)」「命のプネウマ」になる。「命のプネウマ」は、心臓の左室から出る動脈によって全身に運ばれると考えられていました。但し、ここに記された「空気」とは、当然ながら、科学的な物質として認識したものではありません。

イギリスの医者メイヨウ(1645-79)は生命に必要な空気中の物質を「火の空気」と呼びましたが、これも漠然とした想像にすぎず、酸素がシューレやプリ-ストリによって捕らえられたのはその一世紀後でした。また、ドルトンによって、物質を構成する最小の粒子を原子とする、「原子説」が提唱されたのは1803年のことです。『黄帝内経』の記述は全て、二千年以上昔の素朴な自然観を基にした認識であり、現代医学における生理学や科学的な物質と混同してはならないのです。

テレビコマーシャルで、「漢方に学んだ、、。」などと言っています。私には詭弁としか思えません。考え方には、古代の思想にも学ぶべきことはあると思いますが、診療理論としての価値はありません。

(尚、この記事は、現在執筆中の原稿の一部を抜き書きし、少し手直ししてまとめたものです。)

追伸
2015年1月に、「中医学の誤謬と詭弁」を出版しました。本書は、黄帝内経における「臓腑経絡概念」の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望者には販売しています。詳しくは、カテゴリーの「出版のお知らせ」をご覧ください。

中医学における「心」とは何か [蔵象観の起源と真実]

中医学における「心」とは如何なるものでしょうか。先ず最初に念頭におくべきことは、中医学の源流となっている『黄帝内経素問および霊枢』は、今から二千年以上も昔に編纂された書物であることです。ですから、現代の人間なら誰でも知っているような、簡単な医学知識も検査機器も存在しなかったことに留意して読み解く必要があります。現代医学の先入観で古代の記述を読むと、どうしても拡大解釈をしてしまいます。

『黄帝内経』の記述に見られる「心」の機能と病態

機能
・血(血脈)を主どる
・神を蔵す
病態
・心痛
・出血、血行不能

先ず最初に結論から述べますと、『黄帝内経』においては、血液循環および心臓のポンプ作用の認識は存在しません。「心」の機能とは、医学知識の全くない人間が心臓を解剖観察して想像した認識に他なりません。それは、心臓が血管と直接連結した構造であることと、内部の血液の存在から発想した認識です。すなわち、血管のターミナル的存在としての認識です。

「心は神志を主る」として精神作用や思惟活動を司るとする、心臓を精神作用の場として捉える考えは、古代においては西洋も同様でした。この考えは医学的には全く無意味ですが、現代の中医学では今でもこの考えを踏襲して、精神疾患に対し「心」に関係する経穴(ツボ)への治療が行われるなど、診療理論としています。

では、中医学書による解説を見ていきます。

先ず、心の機能についての中医学書の解説では、「脈とは血脈のことであり、経脈ともいう。これは血液が運行する通路である。"心は血脈を主どる"とは、血液を椎動して脈中に運行させ、身体各部を滋養するという心機能を説明したものである。」、と記されています。

この解説の中で最も疑わしいのは、「血液を椎動して脈中に運行させ、」です。当時、現代医学におけるような血液循環や、その動力源としての心臓のポンプ作用を認識していたかのような解説です。しかし実際には、心臓が血液を送ることを明確に示した記述は存在しないのです。この解説の根拠としている原典の記述について、以下で検証します。

「心」の機能に関する『黄帝内経素問および霊枢』の記述
 
『素問』六節蔵象論篇:
「帝曰.蔵象何如.岐伯曰.心者.生之本.神之変也.其華在面.其充在血脈.」

訳:「帝曰わく.蔵の象は如何.岐伯曰わく.心なる者.生の本.神の変なり.その華は面にあり.その満は血脈にあり.」
この記述において、ポイントとなるのは、「其充在血脈」です。これは、「心」の状態は血脈に現れる、つまり、「心」の健康状態の指標としての血脈を説いているのです。

『素問』五蔵生成篇:
「心之合脈也.其栄色也.其主人也.」
訳:「心の合は脈なり.その華は色なり.その主は腎なり.」
「心之合脈也」は、心臓が唯一血管と直接連結する臓器であり、管腔内部が血管と連続する構造となっていることを認識して示したものと解釈できます。

『素問』痿論篇:
「黄帝曰.五蔵使人痿.何也.…心主身之血脈.」
訳:「.心は身の血脈を主り.」
これも、「五蔵生成篇」の認識と全く同様であり、心臓を血管のターミナル的存在として重視したものです。

『霊枢』経脈篇:
「手少陰気絶.則脈不通.少陰者.心脈也.心者.脈之合也.脈不通.則血不流.血不流.」
訳:「手の少陰の気絶すれば.則ち脈通ぜず.少陰なるものは.心脈なり.心なる者は.脈の合なり.脈通ぜざれば.則ち血流れず.」
この記述において、ポイントとなるのは「脈不通」です。端的に言えば「一種の通過障害」と解釈することが妥当です。心臓が血液を循環させる動力源であることを、認識していると解釈できる記述は全論篇中に存在しません。

解釈において留意すべきは、前述したように、現代医学知識による先入観によって拡大解釈してはならないことです。最も重要なポイントは、全身の血液循環を認識できていないこと、また、直接的に心臓のポンプ作用を示すと考えられるような、「動詞的」記述が存在しないことです。

古代中国において、血液循環の正確な全体像や、その循環が心臓のポンプ作用によって行われることが認識された事実はありません。西洋医学においても、2世紀に入った頃のガレノス(Claudius Galenos 130-201)の認識では、前述した「経脈別論」と同レベルでした。1628年にハーベイWilliam Harveyの「動物の心臓ならびに血液の運搬に関する解剖学的研究」によって、実験的に証明されるまでは認識されなかったのです。紀元前後に編纂された『黄帝内経』に心機能の認識があった主張することには無理がありすぎます。このように、正常な歴史認識によって判断すべきことなのです。

前述した「心の精神作用」について補足しますと、アリストテレスが思考の中心を心臓と考えていたのに対し、ヘロフィロス(BC330-280)は既に、運動神経と感覚神経を区別し、神経の中心が脳であり、脳が思考や知性の座であると唱えていました。これは『黄帝内経』編纂(BC100-AC100)とほぼ同時代のことです。

まとめますと。
中医学における「心」の機能とは、「血(血脈)を主どる」のみです。この認識は、血管と直接連絡する構造と、内部(ここでは静脈)の血液から発想したものであり、血管のターミナル的な存在です。言うまでもないことですが、「心は神志を主る」として、精神作用や思惟活動を司るとする考えから、精神性疾患を「心」の病症とする分類は医学的には無意味です。

「心」の病症

中医学書では、「心」の機能とする「血を主る」「神を蔵す」から、血液の循環や出血、精神的症状までも心の病症として説いています。このような心の生理観から派生した病態については多くは無意味ですが、その検証は後述します。先ず、医学的な心臓疾患による病症を認識した記述について検証します。

『霊枢』経脈篇:
「手少陰気絶.則脈不通.少陰者.心脈也.心者.脈之合也.脈不通.則血不流.血不流.則髪色不沢.」
訳:「手の少陰の気絶すれば.則ち脈通せず.少陰なる者は.心脈なり.心なる者は.脈の合なり.脈通ぜざれば.則ち.血流れず.血流れざれば.則ち髪色潤わず.」 
この解説の意味は、端的に言えば血液の通過障害です。「心者.脈之合也」とは、心臓が血管と直接連絡する構造であり、血液を集めることを意味したものです。その機能障害として、血行不良も表現していますが、心臓のポンプ作用そのものの障害を意味するものではありません。

『素問』痿論篇:
「心熱者.色赤而.絡溢.」
訳:「心熱する者.色赤くして.絡脈溢れる」
「是動病・所生病」における、心経の経脈病候との関連性から推測しますと、この熱は単なる熱発ではなく、心筋梗塞の際の発熱を意味するものと考えることが妥当です。(是動病・所生病の医学的解釈は、以前にこのブログで紹介)

『素問』標本病伝論篇:
 「心病先心痛.一日而咳.三日脇支痛.五日閉塞不通.身痛体重.三日不已.死.」
訳:「心病は先ず心痛み.一日にして咳.三日にして脇痛む.五日にして閉塞して通ぜず.身痛み.三日にして已えざれば.死す.」
心筋梗塞による、心機能低下の終末像としてのうっ血性心不全を表現したものと考えられます。咳は、発作性の呼吸困難(心臓性喘息)によるものであり、胸腔内血液量の増大による肺うっ血が原因です。重症例であれば、記述にあるように数日以内に死亡することも十分にあり得ることです。

『霊枢』厥病篇:
「真心痛.手足清至節.心痛甚.旦発夕死.夕発旦死.」
訳:「真の心痛.手足冷えて節に至り.心痛甚だしきは.朝に発すれば夕に死.夕に発すれば朝に死す.」
これもまた、心筋梗塞の経過を表現したものであり、心タンポナーデの症状です。心筋梗塞に伴う心膜炎によって心膜内に貯留した液により、心膜腔内圧が上昇して心臓の拡張期弛緩および充満が制限された状態です。急性死に至る胸部痛と、「冷たい四肢」が病状を正確に示していると言えます。

『素問』痿論篇:
「悲衰太甚.則胞絡絶.則陽気内動.発則心下崩.数洩血也.」
訳:悲衰甚だしければ.心包絡絶し.則ち陽気内動す.発すれば則ち心下崩し.しばしば洩血するなり.」
「心下崩」は、張志聡の説では血尿です。心臓疾患と血尿は直接的には関連せず、恐らく、心の「血を主る」とする機能と、精神的影響からの発想であると考えられます。

上記、「心熱者」、「心病」、および「真心痛」は心筋梗塞の症状を見事に認識しており、『黄帝内経』の、病症のパターン認識能力の高さを示すものです。

まとめますと。

中医学における「心」の病態とは心筋梗塞の症状です。
心筋梗塞の際の胸痛の激しさと、死に至る病であることを認識しており、この痛みの部位感から心臓の病態であることも想像したと思われます。しかし、当時の技術と病理学的知識では、死亡後の解剖によって心臓そのものの異常は確認できなかったと思われます。この推測は、「心」に関してそのような記述が見られないことから、妥当なものであると言えます。

上に示した記述からも、『黄帝内経』の、病症観察における症候のパターン認識能力は相当優れていたと言えます。しかし、当時は心筋梗塞を病理学的に究明する手だては無かったのです。その後、この病症による分類が発展したことに加え、思想的解釈の固定化によって、病気の原因や病態が科学的に研究されることはありませんでした。

一般に言われているような、中医学が人の全体を観るとする通説は詭弁に過ぎないのです。私は、鍼灸が学問として、また科学的な治療として健全に発展するには、中医学を捨てることから始めるべきであると主張しています。それは、日本における、これまでの先人達による研究業績の先にあるものと考えています。

長くなりましたが、この記事は、今まとめている原稿の一部を解りやすく抜き書きしたものです。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。

黄帝内経における「腎」と水・骨・耳との関係とは [蔵象観の起源と真実]

「腎」と水との関係
 『素問』上古天真論篇の「腎者主水.…」や逆調論篇の「腎者水蔵.主津液」など、「腎」が水の臓腑であり、水を司るとする記述は何を意味するのでしょうか。腎臓によって尿が生成されることは現代人には常識ですが、『黄帝内経』ではそのような腎機能の認識はなく、尿を膀胱へ送る輸尿管も発見できてはいません。現代の中医学や漢方家は、腎臓で尿が作られるという医学の常識によって、『黄帝内経』でも認識しているかのごとく錯覚して解説していますがこれは全くの誤りです。では、「腎」と水とを関連づけた動機はいかなるものでしょうか。

 通常、腎臓を解剖しても腎盂内の尿は僅かであり、「水の蔵」としてイメージするには無理があります。恐らく、水腎症の腎臓を解剖し観察して得られた知識であると推測されます。本症は、腎臓の先天性の奇形の中では最も多く、尿管結石などによる成人発症もさほど珍しくはありません。極端な例では、腎臓が腹部全体に拡大して5000mlにも及ぶことがあります。大きく拡張した腎臓の腎盂、腎杯では、中に貯留した大量の尿を観察できたはずです。このような腎臓を見て、「腎」が水をコントロールするとする発想が生まれたものと考えられます。  
 
 このように、腎臓に貯留した水から腎臓と体内の水との関わりを想像し、浮腫などの水が貯留する病態を腎の病症として認識したものと考えられます。すなわち、『黄帝内経』に記された、身体の浮腫を「腎」の病症として位置づけた動機は、腎臓による尿の生成機能の異常によって生じた病態としての認識ではない、と考えることが妥当です。現代人は、医学知識の先入観によって、無意識のうちに古典の意味を過大解釈する傾向があります。しかし、『黄帝内経』当時には医科学は未だ存在していないことを念頭に記述内容を読み解く必要があります。

「腎」と耳および骨との関係
 以前に、このブログで「命門」の意味についての私の仮説を紹介しました(「内経こぼれ話“腎と生殖器・命門の関係”」2009.7.25.カテゴリー;古典のトピックス)。重複しますが、耳と骨との関係の説明上必要ですので簡単に述べます。

 先ず、一般に言われている「左腎右命門学説」は『難経(正確には「黄帝八十一難経」)』の記述によるものです。これは後漢の時代の文献であり、『黄帝内経』には右腎を命門と呼ぶ記述はありません。『黄帝内経』では、『霊枢』根結篇に、「太陽根於至陰.結於命門.命門者目也」と記されており、これは晴明穴の部位を命門であると述べたものです。

 全く無関係に見える2種類の「命門」が存在し、従来、その意味を解明した者はおりません。私は、一見全く違うこれらの記述は共通するものと推測しています。

右腎=命門とは、腎臓の片側性欠如からの認識
 解剖によって、腎無発生の奇形のうち片側性欠如(1/1,000人の頻度)を観察した知識によるものと推測されます。片側性欠如は通常左腎に起こりますが、この場合、他方の腎臓が代償性に肥大して機能を代行するため身体に影響はありません。成人になって後の死亡後に解剖し、左側が無くとも影響が無いことを知りました。これに対し、両側が欠如した場合には生きられないことも知り、右側の腎臓が重要であると考えて「命門」と呼んだものと推測されます。

命門=「太陽根於至陰.結於命門.命門者目也=晴明穴部位は、両側性腎無発生
 両側性腎無発生は、1/3,000人の頻度で起き、出生後生き延びることはありません。この様な新生児は特徴的な顔貌をしています。両目が広く離れ、眼内角贅皮(epicanthic fold)があり、耳は低位にあって、鼻は広く扁平でオトガイが後退しています。また、四肢にも奇形が見られます。

 両側性腎無発生では手足の奇形や耳にも変異があって生きられず、その新生児の内眼角には特徴があってその奇形を知る手掛かりとなることから、この晴明穴の部位を「命門」と呼ぶ認識が生じたものと推測されます。

 一見全く違う2種類の説ですが、実は、どちらも腎臓の奇形と、その結果起こる事態から発想したものと考えられます。この認識は、さらに、「腎」と骨および耳とを関係づける動機となったものと推測しています。尚、『難経』以後にも命門の意味に対して諸説ありますが、全く無意味であると考えますので省略しました。

「腎」が支配する骨と耳とは
 このように、『素問』六節蔵象論篇の「腎…其充在骨」、および宣明五気篇の「腎主骨」や、『霊枢』脈度篇の「腎気通於耳.腎和則耳能知五音矣」など、腎の作用によって骨や耳が形成されて機能するとの認識は、いずれも両側性腎無発生の新生児の観察をもとにした発想であると推測されます。

 前述したように、両側性の腎臓欠如の場合には出生後生き延びることはないため、人の成長には「腎」の作用が不可欠であると考えました。また、このような新生児の特徴として、耳が低位値にある異常と、四肢の奇形があります。これらの知識から、「腎」の作用によって、耳と骨は正常に発達できるものとする認識が生じたものと推測されるのです。

 『黄帝内経』の理論は医学が未だ無い時代の稚拙なものではありますが、実際の解剖と臨床観察を結びつけ、当時の自然観や思想的背景によって理論付けをしています。現代医学知識による先入観を排除して読み解けば、『黄帝内経』はまか不思議な別系統の医学でも、荒唐無稽な抽象概念でもないことが分かります。編纂当時の認識過程を解明することは、中医学理論の問題点を根本から考え直すための重要な一歩となります。

 尚、この記事は現在執筆中の原稿の一部であり、鍼灸関連の雑誌などには未発表のものです。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


内経こぼれ話-“腎と生殖器・命門の関係” [蔵象観の起源と真実]

 内経医学における“腎”と“生殖器”は、発生初期の中腎と性腺の関係であり、“命門”は腎無発生の観察とその影響を総合させた認識ではないかと考えられます。私の仮説はあくまでも推測に過ぎません。これまでには、誰1人として「命門」は何をもとに発想したものか、医学的に説明した人はおりません。また突飛なことを言い出したと批判されそうですが、先ずは読んで下さい。 

 内経の記述を見る限り、医学的には腎臓の機能は全く認識していませんし、生殖の本来の意味も理解はしていません。では、何を根拠に腎臓と生殖器を関連づけ、成長に関与すると考えたのでしょうか。

 成人の解剖所見では、腎臓と生殖器は離れており、血管による連絡は一応有るとはいえ直接結びつける程の関係は見られません。内経医学は解剖観察にもとずく実証的な医学です。荒唐無稽な抽象的概念だけで発想することはあり得ません。 

 恐らく、腎臓の発生初期の状態を、流産した胎児や妊娠中の受刑者(剮刑と呼ばれる身体をバラバラに切り刻む処刑法)の胎児を観察して得られた知見であると思われます。さらに、奇形によって出生後間もなく死亡した乳児の腎臓と成人の腎臓を比較して、腎臓の無発生による影響を推測し、その重要性を認識して“命門”の概念を発想したのではないかと考えられます。

腎臓の発生とその位置変化
 腎臓の発生は前腎、中腎、後腎から成ります。中腎は第4週の後期に痕跡的な前腎の尾方に出現する、体長の1/3程も有る長大な排泄器官で、永久腎が発生するまで暫定的腎臓として機能します。後腎(永久腎)は第5週の始めに、この中腎の根本付近に後腎憩室と後腎細胞塊として発生します。その位置は仙骨の腹側であり、第9週までに本来の位置に定着します(腎臓の位置の変化は図示)。

生殖器との関係
 性腺は、中腎の内側に生殖堤と呼ばれる膨隆から始まり、深部の間葉組織中に発育していきます。中腎管は排泄腔に開口していますが、この中腎管は男性生殖器系の発生に、また、中腎傍管は女性生殖器系の発生に各々基本的な役割を果たします。

腎と生殖器の関係性の認識
 つまり、発生の初期には腎臓と生殖器は深く関連しており、同一の器官から発生したものと内経当時の人が考えても不思議ではありません。恐らく、腎と生殖器との関係はこの観察知識から発想したものと思われます。

「命門」の諸説
 一般に言われている「左腎右命門学説」は、難経(正確には「黄帝八十一難経」)の記述によるものです。これは後漢の時代の文献であり、その後の時代には違う説も有りますが、それらは全て価値は無いと考えていますので省略します。
 内経では、「霊枢:根結篇に、太陽根於至陰.結於命門.命門者目也」と記されていて、これは晴明穴の部位であると言われています。
 全く無関係に見える2種類の「命門」が存在します。これまでに、その意味を説明した研究者はおりません。しかし、一見全く違うこれらの記述には共通する認識があると私は推測しています。

「命門」の意味と腎と成長の関係
 どちらの説も、奇形である腎無発生を観察したものと考えられます。腎臓の片側性欠如は1/1,000人の頻度ですが、通常左腎が欠如します。この場合には他方の腎臓が代償性に肥大して機能を代行しますので、症状は全くありません。成人になって後の、死亡後の解剖で左側が無いことに気づき、右の腎臓が重要であるとの認識から、右側を“命門”と呼んだのではないでしょうか。
 両側性腎無発生は、1/3,000人の頻度で生まれますが、出生後生き延びることはありません。この様な新生児は特徴的な顔貌をしています。両目が広く離れ、眼内角贅皮(epicanthic fold)があり、耳は低位にあり、鼻は広くて扁平で、オトガイが後退し、四肢にも奇形が見られます。恐らく内経では、この新生児の内眼角の特徴と両側の腎臓が無いこと、さらにこの様な新生児が生後間もなく死亡することから、腎臓の欠如による影響と、その徴候としての晴明穴部位に現れる特徴から、この部位を“命門”と呼び腎と結び付けたのではないでしょうか。

 つまり、一見全く違う考えの様で、どちらも腎臓の奇形と、その結果起こる変化を観察して発想したものと推測できるのです。

注意) 内経には、腎が成長へ関与すると解釈できる記述は「素問:上古天真論」にあります。しかし、腎と生殖器を直接関連ずける記述は無く、その後の時代の解釈が多分に含まれていることに注意が必要です。

 また、余談になりますが、医学的には、慢性腎不全がある場合には成長・発達障害が起こります。低成長児における、慢性腎不全児の頻度は2~3%と少ないのですが存在します。高窒素血症、代謝性酸血症、脱水などによるほ乳量低下の結果起きた、栄養不足と熱量不足が原因です。但し、内経時代は、腎臓の生理・生化学的機能は全く理解していませんのでこの様な認識があったことはあり得ません。 

 長くなりましたが、私の推測を述べました。従来、この様な推測をした専門家はおりません。また、当時にここまで広範囲に解剖し、認識していたかの確証はありません。正否の判断は歴史に委ねる他ありません。

引用文献
瀬口春道監訳, ムーア人体発生学, 原著第6版, 東京, 医歯薬出版, p.321-330.

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本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は市販はしていませんが、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。

内経こぼれ話-「脾移熱於肝」 [蔵象観の起源と真実]

 以前に「肝」の蔵象観の本質について述べました。その中で、脾との関係についての興味深い記述として、素問:気厥論篇の「脾移熱於肝.則為驚衄(脾の熱が肝に作用して鼻血が出る)」について少し触れました。今回は、この記述についての私の推測を少し書きます。
 
 医学的にも、肝硬変の患者の血小板減少による出血傾向には脾機能亢進が関与することが分かっています。脾摘や部分脾動脈塞栓術(PSE)により血小板数の改善と肝予備能の改善が得られます。

 では、内経当時にこの様な認識があったのでしょうか。古典を妄信している人たちがこの記述をどの様に説明しているかはしりませんが、「内経医学は、最新の医学にも匹敵する認識があったのだ」と自慢するのかも知れません。しかし、果たしてそうでしょうか。当時の医学レベルからはあり得ないと考えることが打倒です。

 私はこれまでに、内経中の「肝」に関わる全ての記述を調べ、「肝の機能」と「病症観」の本質についての仮説を提唱しています(「肝」にみる内経の蔵象観-1~4で報告)。 
 その結果からの推論を言いますと、肝と脾のこの関係は、肝硬変の際の門脈圧亢進を観察したものと思われます(素問:大奇論篇中の「肝雍」は肝硬変の肝臓を解剖観察して得られた認識)。
 
 門脈圧亢進によって、脾臓から門脈へと入る脾静脈は怒張します。この状態を、「脾の熱が肝に移る」と想像し、肝硬変による出血傾向を説明したものと推測できます。また、脾臓からの血液は必然的に血管内圧の低い脾門脈吻合枝へ流れ、側副血行路へと向かいます。その側副血行路の一部に、絡脈として認識したものがあることは既に紹介した通りです。

 内経医学は、解剖と病症観察に優れ、病症群を正確に疾患単位で認識していました。その疾病認識の洞察力は相当優れていましたが、病態を科学的に分析することは発展しませんでした。解釈は思弁的であり、その論理は稚拙です。多くの専門家は、内経の認識への過大評価と、現代医学の先入観で拡大解釈しています。混乱と錯綜を避けるためには、当時の医科学の視点で検証することが肝要です。

 現在の中医学における肝の機能と病態認識は「肝の病症」への誤謬によって形成された概念です。誤謬の発端は、内経において「肝」の病症観の起源となった、「頽疝」のフィラリア症と「肝雍」の肝硬変の症状群の中の各症状を、各々単独に断片化して肝の病症として捉えたことに原因があります。さらに、これらの切り取られた病症が1人歩きをして、他の疾病中の同様の症状の全てを「肝の病証」として分類しました。その結果、内経医学における「肝」は、現代医学における臓器としての肝臓を超越した概念であるなどとする誤解が生じたのです。

 中医学者、漢方家のほぼ全てがこの事実を認識していません。誤謬によって形成された、誤った結果としての概念を基に、臨床的あるいは学問的(本人達はそう信じている)に注釈し高説を述べているつもりになっているだけです。

 私の仮説は従来の一般説とは全く異なっていますので、何を言っているのかさっぱり分からないと言われる方が多いと思われます。そこで、重複しますが、以前に投稿した「肝にみる内経の蔵象観-4」の一部をコピーしました(少々長いです)。
 私の仮説の正否は私自身にも分かりませんし、賛成されることも期待はしていません。読んで、意見を述べて戴ければありがたいと思っています。

“「肝」にみる内経の蔵象観-4”より

「肝」の具体的な機能は、“蔵血,生血気,思惟,主筋,主目”のみです。
 これらの正常な機能の逸脱として推測した症状を、「肝」の病症として捉えた病態認識が見られます。
 もう一方で、解剖観察による肝臓の病変の認識や、病変を経絡の分布から分類した方法が重要な要因となっています。「肝」の起源となった疾患は、素問:大奇論篇中の「肝雍」の肝硬変と、同じく脈解篇の「頽疝」のフィラリア症の2疾患であると推測しました。
 この他には、肝臓の位置に対応した、疼痛などの症状をその部位感によって、肝臓疾患として推測した病症が散見されます。

「頽疝」のフィラリア症
 これは「足の厥陰肝経」の走行が、下腿内側から泌尿・生殖器への分布として認識されていた時代の病症認識です(内経のルーツである、馬王堆漢墓帛書の「陰陽十一脈灸経」の記述による)。フィラリア症に類似する、その他の、下腿および泌尿生殖器の病変も「肝経」の病症として認識しています。
「肝雍」の肝硬変
 病死直後の解剖によって観察した肝臓の病変と、生前の症状を対照させて肝臓疾患の症状を認識しました。しかし、その疾病の本体である肝臓の機能や病態は究明できなかったため、症状のみに視点が向けられました。その結果、肝臓の病理とは何の脈絡も無い、断片的な症状群を「肝」の病症として認識し、分類しています。

 「肝」の病症観となった“症状”

Ⅰ.血液を統括する機能の異常によって生じると認識した、筋,精神,目の病症
 
 血 : 出血(鼻血、下血など)
 筋 : 筋力低下・麻痺,痙攣,異常運動,筋・関節痛
 精神: 精神障害,錯乱,せん妄,意識混濁,昏睡,精神的興奮
 目 : 視力低下,めまい

Ⅱ.肝硬変・フィラリア症の、“症状”による認識
 
 腹水,四肢・顔面の浮腫,陰嚢水腫(肝硬変・フィラリア症)
 筋・関節痛(フィラリア症)
 筋の萎縮,痙攣,異常運動,不随意運動(肝硬変)
 精神障害,意識混濁,昏睡,精神的興奮,錯乱,せん妄(肝硬変)
 各種の出血・出血傾向,下血(肝硬変)
 排尿障害・尿閉(肝硬変・フィラリア症)
 
 Ⅰ.Ⅱ.に示した症状が、臓器の病態から離れ、これらの症状群そのものを「肝」の病態として認識し分類しました。その後これらの症状が、病理学的には全く脈絡の無いまま「肝」の蔵象観・病症として一人歩きを始めることになります。近代以後、これらの症状に対する医学的解釈が行われ、「肝」とは、肝臓を超越した多くの機能や病症を包括した概念であるなどとの誤謬が生じることになります。このボタンの掛け違いによって、中医学理論は錯綜し極めてつかみ所のない不可解な内容となってしまいました。

 症状群のみを対象とした、現代の中医学を簡単に紹介します。

 Ⅰ.に示した機能とⅡ.の症状群から、「肝」の病症として、「情緒障害・うつ・精神神経症・自律神経の失調・栄養障害・循環器障害・脳血管障害・内分泌系の障害・運動系の異常・視力障害・結膜炎・月経困難症・肝炎・胆のう炎・胆石・胃腸障害(胃十二指腸潰瘍、過敏性腸障害)・甲状腺腫・乳腺腫・高血圧・突発性難聴・呼吸困難・鼠径ヘルニア」など、節操無く多くの疾患を掲げています。
 
 この様な、馬鹿げた発想の原因は「肝」の病症観が形成された経緯について全く検証されなかったことにあります。
 さらに悪いことに、最近の中医学関連の成書(1980年以後?)には、「肝」の生理機能として「疎泄機能」が記されています。疎は疎通、泄は発散・昇発であるとし、この機能が正常であれば、気血は調和し、経絡は通利し、臓腑・器官も正常に活動すると解説されています。
 しかしながら、内経にはこのような記述はありません。さらに、脾・胃の機能にも影響し、胆汁の分泌・排泄にまで関わるなどと記されています。そして、これらのデタラメが「中医理論」として国家試験の問題にまで堂々と出題されています。
 これらは全て、現代医学を都合よく借用したものであり、内経とは無関係な認識です。肝臓が生理・生化学的に多彩な機能をもつことは周知の事実ですが、「疎泄機能」のような曖昧な表現を用いて、内経には存在しない医学的な機能までも「肝」の概念に加えるべきではありません。
内経の記述を解釈する際には、医学の未発達な時代であったことを念頭におき、現代医学知識の先入観による過大解釈は慎まなければなりません。

 私が診断した10種類の疾患には、現時点では医学的に何の関連性も考えらず、無意味な概念であり稚拙な論理です。百歩譲って、疾患それ自身の病態とは別に、類似した症状には発症のメカニズムなどの何らかの関連性があり得るでしょうか。医学的には関連しない、全く異なる疾患を別の概念で分類でき、さらに、治療においても共通する方法を構築できるものでしょうか。
 
 肝臓は周知のように、体内における代謝の中心で多くの機能を持っていますが、以外にも、その代謝異常が諸臓器に与える影響についての臓器相関の研究は少なく、将来に、全く異なった機能や、他の疾患との関連性が見いだされることもあり得ます。全く別の疾患が、感染症を契機として続発した、自己免疫疾患として共通するメカニズムで捉えられるケースなども増えてはいます。
 
 しかしながら、内経の認識は病症の臨床観察こそ優れていますが、その理論のほとんどは稚拙で非科学的なものです。現代医学にも通じるアイデアが多少含まれていても、過大評価は禁物です。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしていませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


「肝」にみる、内経の蔵象観-4. [蔵象観の起源と真実]

 「肝」の蔵象観の起源と形成過程

 内経によって考えられた「肝」の本体は何か。また、その概念は如何に形成されたかを知るために、内経中に実際に記載された、「肝」の機能と病症について検討しました。
 特に、病症名と思われる記述について、その症状の説明から医学的診断を試みました。この検討方法を行った根拠は、内経における病症観察と症候論のパターン認識能力は非常に高く、その記述は病態観察の長期的集積として評価でき、内経の疾病観を知る上で実質的な価値があると考えたからです。

 結果を要約しますと、先ず、「肝」の具体的な機能は、“蔵血,生血気,思惟,主筋,主目”のみです。
 これらは、正常な機能の推測を前提としたものではなく、「肝」の病症観の起源となった疾患でる、素問:大奇論篇中の「肝雍」の肝硬変と、同じく脈解篇の「頽疝」のフィラリア症の、2疾患の病症から正常な機能を推測したものと考えられます。医科学が未だ存在しない古代の人間が、肉眼的観察によって肝臓の機能を想像することは不可能であり、死亡した患者の肝臓の観察と生前の病症を対照させて推測することが唯一可能な手段であったと考えられます。
 その他には、病変を経絡の分布から分類した方法や、肝臓の位置に対応した、疼痛などの症状をその部位感によって、肝臓の病症として推測した認識が散見されます。
 

「頽疝」のフィラリア症
 これは「足の厥陰肝経」の走行が、下腿内側から泌尿・生殖器への分布として認識されていた時代の病症認識です(内経のルーツである、馬王堆漢墓帛書の「陰陽十一脈灸経」の記述による)。フィラリア症に類似する、その他の、下腿および泌尿生殖器の病変も「肝経」の病症として認識しています。

「肝雍」の肝硬変
 病死直後の解剖によって観察した肝臓の病変と、生前の症状を対照させて肝臓疾患の症状を認識しました。しかし、その疾病の本体である肝臓の機能や病態は究明できなかったため、症状のみに視点が向けられました。その結果、肝臓の病理とは何の脈絡も無い、断片的な症状群を「肝」の病症として認識し、分類しています。

 「肝」の病症観となった“症状”

Ⅰ.血液を統括する機能の異常によって生じると認識した、筋,精神,目の病症
   (この認識の発端は、前述した肝硬変およびフィラリア症の症状からの発想)

 
 血 : 出血(鼻血、下血など)
 筋 : 筋力低下・麻痺,痙攣,異常運動,筋・関節痛
 精神: 精神障害,錯乱,せん妄,意識混濁,昏睡,精神的興奮
 目 : 視力低下,めまい


Ⅱ.肝硬変・フィラリア症の、“症状”による認識
 
 腹水,四肢・顔面の浮腫,陰嚢水腫(肝硬変・フィラリア症)
 筋・関節痛(フィラリア症)
 筋の萎縮,痙攣,異常運動,不随意運動(肝硬変)
 精神障害,意識混濁,昏睡,精神的興奮,錯乱,せん妄(肝硬変)
 各種の出血・出血傾向,下血(肝硬変)
 排尿障害・尿閉(肝硬変・フィラリア症)
 
 Ⅰ.Ⅱ.に示した症状が、臓器の病態から離れ、これらの症状群そのものを「肝」の病態として認識し分類しました。その後これらの症状が、病理学的には全く脈絡の無いまま「肝」の蔵象観・病症として一人歩きを始めることになります。近代以後、これらの症状に対する医学的解釈が行われ、「肝」とは、肝臓を超越した多くの機能や病症を包括した概念であるなどとの誤謬が生じることになります。このボタンの掛け違いによって、中医学理論は錯綜し極めてつかみ所のない不可解な内容となってしまいました。

 症状群のみを対象とした、現代の中医学を簡単に紹介します。

 Ⅰ.に示した機能とⅡ.の症状群から、「肝」の病症として、「情緒障害・うつ・精神神経症・自律神経の失調・栄養障害・循環器障害・脳血管障害・内分泌系の障害・運動系の異常・視力障害・結膜炎・月経困難症・肝炎・胆のう炎・胆石・胃腸障害(胃十二指腸潰瘍、過敏性腸障害)・甲状腺腫・乳腺腫・高血圧・突発性難聴・呼吸困難・鼠径ヘルニア」など、節操無く多くの疾患を掲げています。
 
 この様な、馬鹿げた発想の原因は「肝」の病症観が形成された経緯について全く検証されなかったことにあります。
 さらに悪いことに、最近の中医学関連の成書(1980年以後?)7.8には、「肝」の生理機能として「疎泄機能」が記されています。疎は疎通、泄は発散・昇発であるとし、この機能が正常であれば、気血は調和し、経絡は通利し、臓腑・器官も正常に活動すると解説されています。
 しかしながら、内経にはこのような記述はありません。さらに、脾・胃の機能にも影響し、胆汁の分泌・排泄にまで関わるなどと記されています。そして、これらのデタラメが「中医理論」として国家試験の問題にまで堂々と出題されています。
 これらは全て、現代医学を都合よく借用したものであり、内経とは無関係な認識です。肝臓が生理・生化学的に多彩な機能をもつことは周知の事実ですが、「疎泄機能」のような曖昧な表現を用いて、内経には存在しない医学的な機能までも「肝」の概念に加えるべきではありません。
内経の記述を解釈する際には、医学の未発達な時代であったことを念頭におき、現代医学知識の先入観による過大解釈は慎まなければなりません。

 私が診断した10種類の疾患には、現時点では医学的に何の関連性も考えらず、無意味な概念であり稚拙な論理です。百歩譲って、疾患それ自身の病態とは別に、類似した症状には発症のメカニズムなどの何らかの関連性があり得るでしょうか。医学的には関連しない、全く異なる疾患を別の概念で分類でき、さらに、治療においても共通する方法を構築できるものでしょうか。
 
 肝臓は周知のように、体内における代謝の中心で多くの機能を持っていますが、以外にも、その代謝異常が諸臓器に与える影響についての臓器相関の研究は少なく、将来に、全く異なった機能や、他の疾患との関連性が見いだされることもあり得ます。全く別の疾患が、感染症を契機として続発した、自己免疫疾患として共通するメカニズムで捉えられるケースなども増えてはいます。
 
 しかしながら、内経の認識は病症の臨床観察こそ優れていますが、その理論のほとんどは稚拙で非科学的なものです。現代医学にも通じるアイデアが多少含まれていても、過大評価は禁物です。


 今後機会をみて、現代中医学における「肝」の病態・弁証法の問題点を述べるつもりです。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。



「肝」にみる、内経の蔵象観-3. [蔵象観の起源と真実]

 内経の記述による「肝」の機能と、主症(肝硬変、フィラリア症)以外の病症について、私の解釈結果を述べます。

 「肝」の機能
 各篇(1.に原文の抜粋を記)に記された、「肝」の具体的な機能は、“蔵血,生血気,思惟,主筋,主目”のみです。

 蔵血は素問:調経論篇に「肝蔵血」,霊枢:本神篇には「肝蔵血」と記されています。肝臓は心臓からの送血液量の25%を受けており、血液量が多いことを解剖によって観察し認識したものと思われます。
 また、五臓生成編では「人臥血帰於肝」と、臥位になると血液が肝に帰ると記されています。実際に、肝臓の血液量は臥位に比べて立位では30%減少しますので、医学的にも正しい認識です。臥位と立位での血液量の違いを認識し、さらに運動時には、肝臓より筋に血液が動員されることも推測していた可能性もあります。

 思惟作用の根拠となる記述は本神篇の「血舎魂.肝気虚則恐.実則怒」のみです。血液中に“魂”が存在すると考えて、その血液を豊富に内蔵してこれを統括する肝に精神作用があるとする発想です。また、先述した、肝硬変の際の精神障害が、この認識を形成した要因であったと推測されます。
 因みに、肝硬変の際の精神障害である肝性脳症は、肝障害を介する脳内神経伝達機能の異常によって生じます。その中でも最も中心となるのはアンモニアの神経毒性であり、他には、グルタミン(Gln)・モノアミン・γ-アミノ酪酸(GABA)などによる神経伝達機能の異常があります。

 「主目」は、素問:五臓生成篇の「肝受血而能視」が示すように、目の機能も血液に依存すると発想し、肝の作用を受けているものと考えています。この考えは、霊枢:脈度篇にも記されています。医学的には、肝硬変と視力との関係では、肝性脳症の一症状として稀ではありますが、皮質盲と呼ばれる視力障害の報告例もあります。またビタミンAの代謝とも関与していますが、生理学的に肝臓と目の関係を推測したものでないことは確かです。

 肝によって筋を支配するとする考えは、霊枢:経脈篇の「肝者.筋之合也」・素問:五臓生成篇の「肝之合.筋也」・痿論篇の「肝主身之筋膜」・六節蔵象論篇「充在筋」などに示されています。上古天真論篇では、老化による筋の衰えを肝気の衰退によると考えています。これらの、肝が筋を支配するとする認識も、筋内にの血液が多いこと、肝から筋へ血液が動員されることより発想したものと思われます。さらに、肝硬変によって筋量の減少・有痛性痙攣・異常運動が発症することを、観察して結びつけたものと考えられます。

 医学的にも、肝と筋とは機能的に多くの関連性があります。成長ホルモンの刺激によって肝臓や骨より分泌されるソマトメジンC(IGF-I)は、肝硬変では顕著に減少し、筋量の減少や性腺機能の衰えを引き起こします。
 肝硬変患者では、筋収縮蛋白由来の3-メチルヒスチジン(3-Mehis)の尿中排泄量が正常者に比して高値で、低栄養状態が骨格筋の異化亢進を招いて筋の減少を引き起こします。 また、筋の痙攣と肝臓との関係では、肝硬変患者の約8割に、特に、夜間睡眠中に有痛性筋痙攣(腓返り・クランプ)が合併します。この一要因として、肝障害時の肝臓と下腿骨格筋におけるタウリン濃度の減少が指摘されています。クランプのMcGeeの分類では、腓返りは運動神経単位の過剰亢奮により生じると言われています。しかしながら、Tetany,Dystoniaなどの他のクランプ同様に完全には解明されていません。

 素問:六節蔵象論篇の「以生血気」による血の作用とは、この様に、血による目・筋に対する支配作用が、肝によって生ずるとする考えです。

 臨床経験から捉えた発想であるため、内容の一部には医学的な機能や病態とも関連性が有ります。しかし、それらは医学的に裏付けされた認識では無く、稚拙な理論構成であることに注意し、過大評価をしないことが肝要です。

 以上が、肝臓の機能についての想像として推測したものです。しかし、これらの認識の根元は以下に示す、肝硬変およびフィラリア症の病症からの推測であると考えられます。

 肝硬変・フィラリア症以外の疾患について

 1.で示した様に、特定の疾患と推測された病症は18種類で、これらの内、「肝満,癖,石水,風水,疝・頽疝・肝痺者・肝痺・肝経の経脈病候」は、全てフィラリア症と判断し、肝熱病・肝気熱は日本脳炎と、重複したものを除くと、13種類になります。この中で不明の3病症を除く10疾患が特定されています。

 その内訳は、「肝硬変、フィラリア症、てんかん発作、赤痢、日本脳炎、マラリア、狂犬病、髄膜炎、ムンプス、メニエル病」です。

 これらの疾患を「肝」の病症として分類した動機は、先述した様に、肝硬変・フィラリア症を起源として、この症状に類似する症状を含む疾患,想像による「肝」の機能の逸脱症状が見られる疾患,肝臓の部位に対応した、疼痛などの部位感による推測などを、「肝」の病態としてまとめ認識したものと考えられます。

『てんかん』・『赤痢』
 大奇論篇中の、「肝脈小急」の「癇」はてんかんで、「瘛」と「筋攣」も痙攣発作を意味します。他に発熱などの記述がないので、『てんかん発作』と考えられます。「心肝澼…脈小沈」は、「下血…腸澼…身熱者死」と記され、下血を伴う下痢で、発熱し、死に至る疾患は『赤痢』が最も有力です。これは、筋の痙攣と出血を「肝」の病態として認識したものです。

 「肝雍」の病症には出血は記されていませんが、肝硬変では出血傾向が現れますので、当然認識はしていたものと思われます。余談になりますが、肝臓はFⅧ以外の大部分の凝固因子を産生しています。重症肝疾患では、門脈圧亢進、脾機能亢進による血小板減少、凝固因子の質的異常が加わり、あらゆる止血機構の異常を生じます。

 また、脾との関係において興味深い記述は、素問:気厥論篇の「脾移熱於肝.則為驚衄」です。「脾の熱が肝に作用して鼻血が出る」と記されています。医学的には、肝硬変の患者の血小板減少による出血傾向に脾機能亢進が関与し、脾摘や部分脾動脈塞栓術(PSE)により血小板数の改善と肝予備能の改善が得られることが分かっています。当時、この様な認識はなかったでしょうが、興味深い内容です。

『日本脳炎』
 刺熱篇の「肝熱病」は、発熱・腹痛・精神症状に加え、「手足躁.不得安臥」の「手足をしきりに動かし、じっと横になっていられない」を、不随意運動,クローヌスと解釈すると、『日本脳炎』であると考えられます。これは、肝硬変の際の、精神症状・異常運動を「肝」の病態と認識して分類したものです。

 痿論篇の「肝気熱」も発熱性の疾患ですが、「筋痿」を筋萎縮や運動麻痺と解釈すると、回復後に運動麻痺が残ることがある『日本脳炎』と推測されます。また、刺熱篇の「肝熱」とも一致します。これも、痙攣・異常運動を「肝」の病態として認識したものです。

『狂犬病』
 霊枢:本神篇の「肝悲衰動中」は「魂傷則狂忘不精.不精則不正」を精神障害と推測し、痙攣及び「両脅骨不挙」と、呼吸困難によって死亡に至る疾患として、狂犬病が考えられます。これも、痙攣と精神障害を「肝」の病態として認識したものです。

『マラリア』
 素問:瘧論篇の「瘧疾」は、一般的にもマラリアについて解説したものと言われています。刺瘧篇では六経・臓腑それぞれの瘧疾について説明していが、「足厥陰之瘧」は、腰痛,下腹部膨満感・不快感,尿閉,下痢と、熱帯型マラリアの病状を認識していることが推測できます。「肝瘧」の「蒼蒼然(真っ青)」は重度の貧血を示したものであり、「太息」はクスマウル呼吸と思われます。一般成書では、「太息」を文字の意味そのままに「ため息」と訳していますが、「其の状死せる者の若し」とあるように、マラリアで死にそうな重体の患者の、その病状説明に無意味なため息など記すことはあり得ません。重症者で、一見ため息を繰り返すような呼吸は、クスマウル呼吸以外に考えられません。この点からも、古典を訳している者の医学知識の欠如が感じられます。尿閉も記されており、これは急性腎不全による尿毒症の状態を示しています。

『髄膜炎』
 素問:熱論篇の「傷寒」一日から六日にかけての症状の記載は、一般的な熱性疾患の経
過について記したものとも言えますが、髄膜炎の症状に近いと思われます。順序は必ずしも一致しませんが、「頭痛」,「発熱」,「腰脊強」を項部強直,Kernig現象と推測し、「不得臥」を痙攣によるものすると、「筋肉痛」,「難聴」が記され、「煩満」を悪心,嘔吐や腹痛の腹部症状も有るので、意識障害は記されていませんが、その他の症状からは髄膜炎が最も疑われます。これは、熱性の感染症の経過を、経脈中を疾病が移動するとして捉えた認識によるものです。

『メニエル病』
 素問:五臓生成篇の「下実上虚の徇蒙招尤.目冥耳聾」はめまいと難聴が同時に認めら
れ、且つ、意識障害や運動麻痺などの中枢神経症状の記述がないので、メニエル病と思われます。耳鳴りは記されていませんが、耳鳴りと難聴はいずれかの症状で診断可能です。

『ムンプス?』
 素問:臓気法時論篇の「肝病者」は脇下部の疼痛であり、疼痛の部位感による分類ですが、これに加えて、「虚」では目が見えなくなる,難聴,精神障害が記されています。「」気逆」では、頭痛,耳聾,頬部の腫脹がみられるとしています。全体を単一の疾患としてみると、ムンプスとその合併症が考えられます。但し、発熱の記載がないことに疑問は残ります。合併症の精神障害に注目して「肝」の病態と考えましたが確定はできません。
 因みに、経脈病候では、小腸経の病候を「ムンプス」であると推測しています。

 その他の病症で興味深いのは、素問:咳論篇に記述された「肝咳」です。肝硬変患者の約40%に肺内血管拡張がみられ、門脈圧亢進症を有する慢性肝疾患の約20%に肝肺症候群が認めらます。この記述からも、肝硬変患者を詳しく観察したことが分かります。しかしながら現在の中医学書の「肝の病症」には、私が知る限りでは、咳などの肺の病症は記されていません。

 以上が、内経に記された「肝」の病症について医学的に診断を試みた結果です。その大半は感染症であり、肝硬変以外は肝臓に関する疾患ではありません。その病態認識の実際の動機は、肝硬変やフィラリア症に見られる症状に、類似する症状が現れる疾患を「肝」の病態としてまとめただけの無意味な分類です。中医・漢方医学が、医学的な臓器機能や疾患単位を超越し、もっと大きく人体機能を包括した概念であるなどとは、全くの誤謬であり詭弁でしかありません。

 次回は、全体を整理して、総括します。その後、現代の中医学の蔵象観と弁証法の根本的問題点について述べたいと考えています。

追伸
 詳細は、2015年1月6日に出版した、「中医学の誤謬と詭弁」に記しています。本書については、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。

「肝」にみる、内経の蔵象観-2. [蔵象観の起源と真実]

 「肝」の病態認識の起源、その2つの流れ
 
 「肝」の病態認識の起源には、素問:大奇論篇中の「肝雍」の肝硬変と、同じく脈解篇の「頽疝」のフィラリア症の2種類が存在します。「頽疝」のフィラリア症は、「足の厥陰肝経」の分布が未だ肝臓に達していない頃(内経のルーツである、馬王堆漢墓帛書の「陰陽十一脈灸経」の記述による)の「肝経」の認識で、下腿および生殖器に現れた病症を分類したものです。これに対し「肝雍」の肝硬変は、恐らく、死体解剖の際に気づいた肝臓の病変と、その生前の病症を対照させて考え出された病態観であると推測されます。これら2種類の病態と、肝臓の観察による機能の想像をもとに、「肝」の蔵象観が形成されたものと思われます。
 
 「肝」の病症として記された他の疾患については、肝臓の病態とは無関係であり、これらの2疾患に見られる症状に類似する症状を全て「肝」の病変によるものとして分類されたものと推測されます。この他の病態認識としては、肝臓の位置に対応した疼痛の部位感による分類が認められます。

 先ず、「肝雍」を肝硬変と診断した根拠から説明します。肝臓は自覚症状に乏しい臓器で、医学的にも診断特異的な臨床症状はありません。肝臓の機能すら認識できなかった時代に、肝臓の病態として判断することは不可能です。但し、死後に解剖した場合、肝硬変であればその異常に硬くなった肝臓の様子に気づき、生前の症状を多くの患者から類推することは可能です。実際、「肝雍」の病症には、肝臓の状態と思われる記述と、肝硬変の末期に見られる症状が示されています。

 大奇論篇の「肝雍.両胠満.臥則驚.不得小便」の、「肝雍」は肝が塞がることを示しており、肝硬変であると推測できます。「両胠満」は左右の横腹の脹満であり、腹水を意味します。腹水が貯留している場合、患者を背臥位で診ると、腹水は左右側腹部に集まるのでこの記述のような状態になります。「臥則驚」の「臥すれば則ち驚く」とは、寝ている時の精神症状で、肝性昏睡に至る以前の意識混濁に精神的興奮が加わった、せん妄と解釈されます。「不得小便」は排尿障害であり、肝障害の進展に伴う腎排泄能の低下によるものと思われます。これらの症状を全て同時に説明できる疾病として肝硬変が最も疑われます。黄疸の記述はありませんが、必ずしも必発の症状ではありませんので問題はないと思われます。

 もう一方の、素問:脈解篇の「頽疝」は象皮病による陰嚢水腫であり、フィラリア症であると考えられます。本篇は、「霊枢:経脈病候」の母体と言われているように、内容的にほぼ同様です。以前に、経脈篇に記された経脈病候の「是動病・所生病」の解釈で「肝経の経脈病候」はフィラリア症であると示しました。

 脈解篇の「頽疝少腹腫…腰脊痛」及び経脈編の「遺疝・胸満・狐疝・閉癃」は陰嚢水腫、ソケイリンパ節腫脹,発熱,尿閉さらに胸満は乳び性胸水によるものと推測すると、フィラリア症の症状は揃っています。

 素問:痺論篇の「肝痺者。…上爲引如懐」は上から下に引っ張られて、何かを懐き抱え
ているような状態です。これは、高士宗の説では、「寒邪の侵犯により下腹部に瘀血が蓄
り、腫瘤を形成し、睾丸に引きつれて痛む病気であり、 経脈篇による肝経の経脈病候の“頽疝”である」と言われています。判然としない症状も含まれていますが、主な症状からフィラリア症と考えられます。

 「肝痺」はこの他に、素問:五臓生成篇,玉機真臓論篇,四時刺逆従論篇,霊枢:邪気臓腑病形篇にも記されています。何れも、詳しい症状は記されてはいませんが、脈解篇・痺論篇との整合性を考慮すると、フィラリア症であると判断することが妥当であると思われます。

 また、霊枢:邪気臓腑病形篇には、この他に、肝脈の異常にみる病症が記されています。「肥」は肥気または肝積であり、左脇下にあって覆杯のごとく、両脇下痛み少腹に引き、足が腫れて冷えるなどの症状です。「水瘕痺」は水積による小便不利、「消癉」は熱中、津液損耗、「溢飲」は水気病で水液が体表や皮下組織に溜まり、四肢の浮腫,疼痛,喘咳を生じたものです。「癪疝」は頽疝と同義語で、同じくフィラリア症で、これらの症状は全てフィラリア症の症状を記したものです。

また、大奇論篇の「肝満,腎満,肺満」は浮腫、「癖」は腹部の腫塊、「石水・風水」はいずれも水腫病の一種です。「石水」は下腹部の腫脹,脇下の脹痛で、「風水」は発熱,悪風,顔面・四肢の浮腫,骨節疼痛,小便不利を症状とします。小便不利は、フィラリア症で、乳び尿中に凝塊を生じた場合に、側腹痛や排尿困難を生じることで説明できます。「疝」には種々の意味があり一定しませんが、この場合は、体腔内容物が外に突出するものや、睾丸・陰嚢の腫大疼痛を意味するものと思われます。これらの病症は肝の脈型に対応して説明されていますが、別々の疾患ではなく、フィラリア症によるリンパ管炎,リンパ節腫,陰嚢水腫によって全て説明できます。

 リンパ系フィラリア症は、象皮病による巨大な足と、陰嚢水腫による巨大な陰嚢のように、あまりにも特徴的であり内経当時も特定の疾患として認識できたものと思われます。日本でもかつては北海道を除く各地で広く見られ、西郷隆盛の陰嚢が本症により小児頭大であったことは有名な話です。日本では、政府によって1962~1971年の間に根絶に成功しましたが、世界では未だに、100以上の国で1億2千万人以上の感染者数が推定されています。

 以上が、素問:大奇論篇中の「肝雍」は肝硬変であり、同じく、脈解篇の「頽疝」はフィラリア症であると結論した根拠です。そして、この2疾患が「肝」の病態観の起源として形成され、類似する病症を示す他の疾患も「肝」の病態として認識し分類しました。

 「肝」の蔵象観・弁証法は、この様な内経以後の蔵象観の形成過程を検証せず、類似する機能や、症状を起こす臓器を広く「肝」の概念としてまとめたものです。さらに現代の中医学は、この考えを補強するために、内経には記述の無い病症まで都合良く書き加えて作り上げた理論体系です。多くの学生や鍼灸師はこれらの事実は知らず、内経による臓腑とは、現代医学の各臓器機能を超越した包括的な概念であるとする誤謬を信じているようです。

 次回以後、この「肝」の病態観が、他の病症分類を形成するに至った経緯と、「肝」の機能についての記述の説明をしたいと考えています。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


「肝」にみる、内経の蔵象観-1. [蔵象観の起源と真実]

 現在の針灸学の原典である、「黄帝内経素問・霊枢」(以下、内経と略)中に記された“肝”に関する機能と病症を再検討すると、現在の中医学の臓腑弁証における“肝”との根本的な違いや問題点が明確になります。

 私は、内経の各篇の中でも最古の作と言われている“素問:大奇論篇”および、“脈解篇”の中の病症記述に注目しました。大奇論篇中の「肝雍」を肝硬変・脈解篇の「頽疝」はフィラリア症であると推測し、この病態認識と肝臓の肉眼的観察による機能の推測が「肝」の蔵象観の起源となったものと考えています。

 内経医学は、臨床観察と度量を中心とした実証的合理性と体系性を備えており、現代医学にも通じる内容を持っています。その内容は、内経以後の思弁的な中医学に比較して遥かに優れたものです。特に、病症観察の能力は高く、その記述は病態観察の長期的集積であり、内経の疾病観を知る上で実質的な価値があります。

 現在の中医学では、蔵象観(臓器の生理観)とは、個々の臓器の医学的生理機能を超越した、複数の臓器の機能を包括したものとする解釈が常識となっています。しかしながら、現在の中医学における臓腑弁証は、「内経」を誤って解釈した理論に、近代になって輸入された西洋医学を都合良く当てはめて構築した、極めて危うい理論であると考えています。

 内経以後の中医学は、特定の疾患として認識した症状群の意味を理解できず、個々の症状を断片的に捉えました。これらの断片的な症状に類似する、他の疾患の病症を無秩序に集約して臓腑の病症観・弁証法(診断)を構築しました。

 その後、思想的完成によって原典本来の意味は忘れ去られました。さらに、近代以後に輸入された西洋医学を無秩序に借用し、内経の記述には存在しない病症まで加えて恰も古代より認識していたかのごとく記述し、中医理論の医学としての先見性や正当性を主張しています。しかしながら、これは詭弁に過ぎません。

 私が、内経中より抜き出した肝に関連する病症記述で、特定の疾患名をほぼ確定できたものは計10種類(不明3)です。以下に、各篇名と、その中の「病症・名」=推測される疾患名として示しています。(疾患別に揃えていますので、各篇の順番とは異なっています)

 病症名”は、文頭に「肝病者~、謂~、故曰~、~病名曰~、」などと記述され、その後ろに各症状が記載されているものを疾患名と判断しました。


 内経に記された「肝」に関連する病症名と、推測される医学的疾患名

素問:大奇論篇    「肝雍」     = 肝硬変
                「肝脈小急」  = てんかん発作
               「心肝澼・脈小沈」    =  赤痢    
             「肝満,癖,石水,風水,疝」=  フィラリア症
素問:脈解篇     「頽疝」     = フィラリア症
霊枢:経脈篇     「経脈病候:肝経」 =  フィラリア症
素問:痺論篇    「肝痺者」 = フィラリア症
素問:五臓生成篇  「肝痺」 = フィラリア症
素問:玉機真臓論篇 「肝痺」 = フィラリア症
素問四時四逆従論篇 「肝痺」 =  フィラリア症
霊枢:邪気臓腑病形篇 「肝痺」 =  フィラリア症
素問:刺熱篇     「肝熱病」 = 日本脳炎
素問:痿論篇     「肝気熱」 = 日本脳炎
素問:刺瘧篇    「足厥陰之瘧・肝瘧」 = マラリア
霊枢:本神篇      「 肝悲衰動中」 = 狂犬病
素問:熱論篇    「傷寒一日~六日」 = 髄膜炎
素問:臓器法事論篇 「肝病者」 = ムンプス?
素問:五臓生成篇 「下実上虚」 = メニエル病
素問:厥論篇 「厥陰之厥・厥陰之厥逆」 =  ?
素問:標本病伝論篇 「肝病」 = ?
霊枢:終始篇    「厥陰終者」 = ?

 これらの病症名に説明された各症状と、診断の根拠は次回以後に述べます。
 
 今回は、「肝」の機能として、具体的に記された内容を簡単に説明し、「肝」の機能および病症について記された原文の抜粋を示します。

 各篇に記された肝の機能は、「蔵血,生血気,思惟,主筋,主目」のみですが、現在の中医学書では、さらに多くの機能が書き加えられています。内経を編纂した人々が考えた肝臓の機能とその発想については後述します。

 素問・霊枢における、「肝」の機能と病症に関する記述の抜粋

素問:上古天真論篇第1 
「…七八肝気衰.筋不能動.…」

素問:四気調神大論第2
「…此春気之應.養生之道也.逆之則傷肝.夏爲寒変.…」

素問:金匱真言論篇第4
「東方青色.入通於肝.開竅於目.蔵精於肝.其病発驚駭.…」

素問:陰陽応象大論篇第5
「…酸生肝.肝生筋.筋生心.肝主目…」

素問:六節蔵象論篇第9
「…肝者.罷極之本.魂之居也.其華在爪.其充在筋.以生血気…」

素問:五臓生成篇第10 
「…肝之合.筋也.其栄爪也.其主杯也.脾之合.肉也.其栄唇也.其主肝也.…」「
…故人臥血帰於肝.肝受血而能視.足受血而能歩.掌受血而能握.指受血而能攝.凝於脈者爲泣.凝於足者爲厥.此三者.血行而不得反其空.故爲痺厥也…」「…徇蒙招尤.目冥耳聾.下實上虚.過在足少陽厥陰.其則入肝.…」「青脈之至也.長而左右弾.有積気在心下.支胠.名曰肝痺.得之寒湿.興疝同法.腰痛足清頭痛.…」

素問:診要経終論篇第16
「…厥陰終者.中熱.嗌乾.善溺.心煩甚.則舌巻.卵上縮而終矣…」

素問:脈要精微論篇第17
「…肝脈博堅而長.色不青.実病墜若博.因血在脇下.令人喘逆.其耎而散.色澤者.実
病嗌飲.嗌飲者.渇暴多飲.而易入肌皮腸胃之外也.…」

素問:平人気象論篇第18
「…肝蔵筋膜之気也…」

素問:玉機真臓論篇第19
「…病名曰肝痺.一名厥.脇痛出食.…」

素問:臓気法時論篇第22  
「…肝病者.両脇下痛引少腹.令人善怒.虚則目流流無所見.耳無所聞.善怒.如人将捕之.…気逆則頭痛.耳聾不聦.頬腫.…」
 
素問:宣明五気篇第23
「…肝爲涙.…肝蔵魂.…肝主筋.…」

素問:熱論篇第31
「…傷寒一日.巨陽受之.故頭項痛.腰脊強.二日陽明受之.陽明主肉.其脈狭鼻.絡於目.故身熱目疼而鼻乾.不得臥也.三日少陽受之.少陽主膽.其脈循脇絡於耳.故胸脇痛而耳聾.三陽経絡.皆受其病.而未入於蔵者.故可汗而己.四日受太陰受之.太陰脈布胃中.絡於嗌.故腹満而溢乾.五日少陰受之.少陰脈貫腎.絡於肺繋舌本.故口燥舌乾而渇.六日厥陰脈循陰器而絡於肝.故煩満而嚢縮.…

素問:刺熱篇第32   
「肝熱病者.小便先黄.腹痛多臥.身熱.熱争則狂言及驚.脇満痛.手足躁.不得安臥.
…肝熱病者.左頬先赤.…」

素問:刺瘧篇第36
「足厥陰之瘧.令人腰痛.少腹満.小便不利.如癃状.非癃也.数便.意恐惧.気不足.腹中悒悒.」「…肝瘧者.令人色蒼蒼然.太息.其状若死者.刺足陰見血…」

素問:気厥論篇第37
「…脾移寒於肝.癰腫.筋攣.…」「…脾移熱於肝.則為驚衄.…」

素問:咳論篇第38
「…肝咳之状.咳則両脇下痛.甚則不可以転.転則両胠下満.…」

素問:挙痛論篇第39
「…寒気客於厥陰之脈.厥陰之脈者.絡陰器.繋於肝.寒気客於脈中.則血泣脈急.故脇肋与少腹相引痛矣.厥気客於陰股.寒気上及少腹.血泣在下相引.故腹痛引陰股.…」

素問:刺腰痛篇第41
「…厥陰之脈令人腰痛.腰中如張弓弩弦.刺厥陰之脈.在湍踵魚之外.…」

素問:風論篇第42
「…肝風之状.多汗悪風.善悲.色微蒼.嗌乾善怒.時憎女子.…」

素問:痺論篇第43
「…筋痺不己.復感於邪.内舎於肝…」「…肝痺者.夜臥則驚.多飲数小便.上爲引如懐.…」「…淫気乏竭.痺聚在肝.…」

素問:痿論篇第44    
「…肝主身之筋膜.…」「…肝気熱.則膽泄口苦.筋膜乾.則筋急而攣.発爲筋痿…」

素問:厥論篇第45
「…厥陰之厥.則少腹腫痛.腹脹.涇溲不利.好臥屈膝.陰縮腫.髄内熱.…」「…厥陰厥逆.攣腰痛.虚満前閉.譫言.…」

素問:大奇論篇第48
「 肝満.腎満.肺満.皆實.即爲腫.…」
「…肝雍.両胠満.臥則驚.不得小便.…」
「肝脈小急.癇瘛筋攣.肝脈騖暴.有所驚駭.…」
「腎脈小急.肝脈小急.心脈小急.不鼓.皆爲癖.腎肝并沈.爲石水.并浮爲風水.并
小絃欲驚.腎脈大急沈.肝脈大急沈.皆爲疝.…」「心肝澼亦下血.二蔵同病者可治.其脈小沈濇爲腸澼.其身熱者死.熱見七日死.…
脈至如散葉.是肝気予虚也.木葉落而死.」

素問:脈解篇第49  
「…厥陰所謂頽疝.婦人少腹腫者.厥陰者辰也.三月陽中之陰.邪在中.故曰頽疝少腹腫
.所謂腰脊痛不可以俛仰者.三月一振.栄華萬物一俛而不仰也.所謂頽?疝膚脹者.曰陰
亦盛而脈脹不通.故曰頽癃疝也.所謂甚則嗌乾熱中者.陰陽相薄而熱.故嗌乾也…」

素問:刺要論篇第50
「…筋傷則内動肝.肝動則春病熱而筋弛.…」

素問:調経論篇第62
「…肝蔵血.…」

素問:四時刺逆従論篇第64
「厥陰有余.病陰痺.不足.病生熱痺」「…不足.病肝痺.滑則病肝風疝.…」

素問:標本病伝論篇第65
「…肝病頭目眩.脇支満.三日体重身痛.五日而脹.三日腰脊少腹痛.脛痠.三日不己.死.…」

素問:至真要大論篇第74
「諸風掉眩.皆属於肝.…」

霊枢:邪気臓腑病形篇第4
「…肝脈急甚者爲悪言.微急爲肥.気在脅下.若覆杯.緩甚爲善嘔.微緩爲水瘕痺也.大甚爲癰.善嘔衄.微題爲肝痺陰縮.欬引小腹.小甚爲多飲.微小爲消癉.滑甚爲癪疝.微滑爲遺溺.濇甚爲溢飲.微濇爲瘛.攣筋痺.…」

霊枢:本神篇第8   
「…肝悲衰動中.則傷魂.魂傷則狂忘不精.不精則不正.常人陰縮而攣筋.両脅骨不
挙.毛悴色天.死於秋.…」
「…肝蔵血.血舎魂.肝気虚則恐.実則怒…」

霊枢:終始篇第9
「…厥陰終者.中熱.嗌乾.喜溺.心煩.甚則舌巻.卵上縮而終矣…」

霊枢:経脈篇第10    
「是動則病腰痛不可以俛仰.丈夫遺疝.婦人少腹腫.甚則?乾.面塵.脱色.是肝所生病
者.胷満嘔逆.飱泄.狐疝.遺溺.閉癃爲此諸病.」
「…足厥陰絶.則筋絶.厥陰者.肝脈也.肝者.筋之合也.筋者.聚於陰気.而脈絡於舌本也.故脈弗栄則筋急.筋急則引舌興卵.故唇青舌巻卵縮.則筋先死.庚篶辛死.金勝木也.…」 

霊枢:脈度篇第17   
「…肝気通於目.肝和則目能辨五色矣…」

霊枢:五邪篇第20
「…邪在肝.則両脅中痛.寒中.悪血在内.行善攣節時腳腫.…」

霊枢:脹論篇第35
「…肝脹者.脅下満而痛引小腹.…」

霊枢:本臓篇第47
「…肝小.粗理者.肝大.廣?反骰者.肝高.合脅兔骰者.肝下.胷脅好者.肝堅.脅
骨弱者.肝脆.膺腹好相得者.肝端正.脅骨偏挙者.肝偏傾也.…」

霊枢:九針論篇第78
「…肝主泣.…肝蔵魂.…肝主筋.…」

以上が内経の抜粋です。説明は次回以後です。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


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