内経こぼれ話-「脾移熱於肝」 [蔵象観の起源と真実]

 以前に「肝」の蔵象観の本質について述べました。その中で、脾との関係についての興味深い記述として、素問:気厥論篇の「脾移熱於肝.則為驚衄(脾の熱が肝に作用して鼻血が出る)」について少し触れました。今回は、この記述についての私の推測を少し書きます。
 
 医学的にも、肝硬変の患者の血小板減少による出血傾向には脾機能亢進が関与することが分かっています。脾摘や部分脾動脈塞栓術(PSE)により血小板数の改善と肝予備能の改善が得られます。

 では、内経当時にこの様な認識があったのでしょうか。古典を妄信している人たちがこの記述をどの様に説明しているかはしりませんが、「内経医学は、最新の医学にも匹敵する認識があったのだ」と自慢するのかも知れません。しかし、果たしてそうでしょうか。当時の医学レベルからはあり得ないと考えることが打倒です。

 私はこれまでに、内経中の「肝」に関わる全ての記述を調べ、「肝の機能」と「病症観」の本質についての仮説を提唱しています(「肝」にみる内経の蔵象観-1~4で報告)。 
 その結果からの推論を言いますと、肝と脾のこの関係は、肝硬変の際の門脈圧亢進を観察したものと思われます(素問:大奇論篇中の「肝雍」は肝硬変の肝臓を解剖観察して得られた認識)。
 
 門脈圧亢進によって、脾臓から門脈へと入る脾静脈は怒張します。この状態を、「脾の熱が肝に移る」と想像し、肝硬変による出血傾向を説明したものと推測できます。また、脾臓からの血液は必然的に血管内圧の低い脾門脈吻合枝へ流れ、側副血行路へと向かいます。その側副血行路の一部に、絡脈として認識したものがあることは既に紹介した通りです。

 内経医学は、解剖と病症観察に優れ、病症群を正確に疾患単位で認識していました。その疾病認識の洞察力は相当優れていましたが、病態を科学的に分析することは発展しませんでした。解釈は思弁的であり、その論理は稚拙です。多くの専門家は、内経の認識への過大評価と、現代医学の先入観で拡大解釈しています。混乱と錯綜を避けるためには、当時の医科学の視点で検証することが肝要です。

 現在の中医学における肝の機能と病態認識は「肝の病症」への誤謬によって形成された概念です。誤謬の発端は、内経において「肝」の病症観の起源となった、「頽疝」のフィラリア症と「肝雍」の肝硬変の症状群の中の各症状を、各々単独に断片化して肝の病症として捉えたことに原因があります。さらに、これらの切り取られた病症が1人歩きをして、他の疾病中の同様の症状の全てを「肝の病証」として分類しました。その結果、内経医学における「肝」は、現代医学における臓器としての肝臓を超越した概念であるなどとする誤解が生じたのです。

 中医学者、漢方家のほぼ全てがこの事実を認識していません。誤謬によって形成された、誤った結果としての概念を基に、臨床的あるいは学問的(本人達はそう信じている)に注釈し高説を述べているつもりになっているだけです。

 私の仮説は従来の一般説とは全く異なっていますので、何を言っているのかさっぱり分からないと言われる方が多いと思われます。そこで、重複しますが、以前に投稿した「肝にみる内経の蔵象観-4」の一部をコピーしました(少々長いです)。
 私の仮説の正否は私自身にも分かりませんし、賛成されることも期待はしていません。読んで、意見を述べて戴ければありがたいと思っています。

“「肝」にみる内経の蔵象観-4”より

「肝」の具体的な機能は、“蔵血,生血気,思惟,主筋,主目”のみです。
 これらの正常な機能の逸脱として推測した症状を、「肝」の病症として捉えた病態認識が見られます。
 もう一方で、解剖観察による肝臓の病変の認識や、病変を経絡の分布から分類した方法が重要な要因となっています。「肝」の起源となった疾患は、素問:大奇論篇中の「肝雍」の肝硬変と、同じく脈解篇の「頽疝」のフィラリア症の2疾患であると推測しました。
 この他には、肝臓の位置に対応した、疼痛などの症状をその部位感によって、肝臓疾患として推測した病症が散見されます。

「頽疝」のフィラリア症
 これは「足の厥陰肝経」の走行が、下腿内側から泌尿・生殖器への分布として認識されていた時代の病症認識です(内経のルーツである、馬王堆漢墓帛書の「陰陽十一脈灸経」の記述による)。フィラリア症に類似する、その他の、下腿および泌尿生殖器の病変も「肝経」の病症として認識しています。
「肝雍」の肝硬変
 病死直後の解剖によって観察した肝臓の病変と、生前の症状を対照させて肝臓疾患の症状を認識しました。しかし、その疾病の本体である肝臓の機能や病態は究明できなかったため、症状のみに視点が向けられました。その結果、肝臓の病理とは何の脈絡も無い、断片的な症状群を「肝」の病症として認識し、分類しています。

 「肝」の病症観となった“症状”

Ⅰ.血液を統括する機能の異常によって生じると認識した、筋,精神,目の病症
 
 血 : 出血(鼻血、下血など)
 筋 : 筋力低下・麻痺,痙攣,異常運動,筋・関節痛
 精神: 精神障害,錯乱,せん妄,意識混濁,昏睡,精神的興奮
 目 : 視力低下,めまい

Ⅱ.肝硬変・フィラリア症の、“症状”による認識
 
 腹水,四肢・顔面の浮腫,陰嚢水腫(肝硬変・フィラリア症)
 筋・関節痛(フィラリア症)
 筋の萎縮,痙攣,異常運動,不随意運動(肝硬変)
 精神障害,意識混濁,昏睡,精神的興奮,錯乱,せん妄(肝硬変)
 各種の出血・出血傾向,下血(肝硬変)
 排尿障害・尿閉(肝硬変・フィラリア症)
 
 Ⅰ.Ⅱ.に示した症状が、臓器の病態から離れ、これらの症状群そのものを「肝」の病態として認識し分類しました。その後これらの症状が、病理学的には全く脈絡の無いまま「肝」の蔵象観・病症として一人歩きを始めることになります。近代以後、これらの症状に対する医学的解釈が行われ、「肝」とは、肝臓を超越した多くの機能や病症を包括した概念であるなどとの誤謬が生じることになります。このボタンの掛け違いによって、中医学理論は錯綜し極めてつかみ所のない不可解な内容となってしまいました。

 症状群のみを対象とした、現代の中医学を簡単に紹介します。

 Ⅰ.に示した機能とⅡ.の症状群から、「肝」の病症として、「情緒障害・うつ・精神神経症・自律神経の失調・栄養障害・循環器障害・脳血管障害・内分泌系の障害・運動系の異常・視力障害・結膜炎・月経困難症・肝炎・胆のう炎・胆石・胃腸障害(胃十二指腸潰瘍、過敏性腸障害)・甲状腺腫・乳腺腫・高血圧・突発性難聴・呼吸困難・鼠径ヘルニア」など、節操無く多くの疾患を掲げています。
 
 この様な、馬鹿げた発想の原因は「肝」の病症観が形成された経緯について全く検証されなかったことにあります。
 さらに悪いことに、最近の中医学関連の成書(1980年以後?)には、「肝」の生理機能として「疎泄機能」が記されています。疎は疎通、泄は発散・昇発であるとし、この機能が正常であれば、気血は調和し、経絡は通利し、臓腑・器官も正常に活動すると解説されています。
 しかしながら、内経にはこのような記述はありません。さらに、脾・胃の機能にも影響し、胆汁の分泌・排泄にまで関わるなどと記されています。そして、これらのデタラメが「中医理論」として国家試験の問題にまで堂々と出題されています。
 これらは全て、現代医学を都合よく借用したものであり、内経とは無関係な認識です。肝臓が生理・生化学的に多彩な機能をもつことは周知の事実ですが、「疎泄機能」のような曖昧な表現を用いて、内経には存在しない医学的な機能までも「肝」の概念に加えるべきではありません。
内経の記述を解釈する際には、医学の未発達な時代であったことを念頭におき、現代医学知識の先入観による過大解釈は慎まなければなりません。

 私が診断した10種類の疾患には、現時点では医学的に何の関連性も考えらず、無意味な概念であり稚拙な論理です。百歩譲って、疾患それ自身の病態とは別に、類似した症状には発症のメカニズムなどの何らかの関連性があり得るでしょうか。医学的には関連しない、全く異なる疾患を別の概念で分類でき、さらに、治療においても共通する方法を構築できるものでしょうか。
 
 肝臓は周知のように、体内における代謝の中心で多くの機能を持っていますが、以外にも、その代謝異常が諸臓器に与える影響についての臓器相関の研究は少なく、将来に、全く異なった機能や、他の疾患との関連性が見いだされることもあり得ます。全く別の疾患が、感染症を契機として続発した、自己免疫疾患として共通するメカニズムで捉えられるケースなども増えてはいます。
 
 しかしながら、内経の認識は病症の臨床観察こそ優れていますが、その理論のほとんどは稚拙で非科学的なものです。現代医学にも通じるアイデアが多少含まれていても、過大評価は禁物です。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしていませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


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