人は何故痛みを許せないのか [らくがき]

鍼灸治療に訪れる患者の多くは痛みの軽減を希望している。その程度は、強い痛みから無視できる程度のごく軽いものまで様々である。これらの中には、「とりあえず、痛みだけ取ってくれ。」と言ってくる患者が時々いる。痛みがゴミのようなもので何処かに張り付いているならば取ってもやれるのだが、全くの考え違いである。

そもそも、「痛み」とは何かを全く理解できていない。さらに、「神経」が何かを知らない人がほとんどである。中には、神経は見えるんですかと聞く患者もいる。もちろん見えます。人体の中で一番太い坐骨神経は親指くらいの太さがありますよと言うと、大抵の人は驚く。このような誤解の原因は知識不足によるものだが、医師にも責任の一端はある。原因が器質的に特定できない痛みに対し、「それは神経です」などと、神経と精神的要因をごちゃ混ぜにした無責任な説明を繰り返し、患者の誤解を助長している。

鍼灸院を開業して来年で40年になるが、この間、痛みに対する患者の認識が不可解でならなかった。「痛み」に対して妙な執着があるのだ。私なら、痛みの原因が推測できて重大な原因でも無い限りそのまま放置する。しかし、患者の思いは大分違っている。治療に来る患者の多くは痛みの存在そのものが許せないようで、痛みはあってはいけないものと考えているようだ。

痛みは不快ではあるが、重要な役割もある。その1つは、体のダメージの警告であり、その部位を安静にさせて回復させる意図がある。強い痛みはそれ自身有害だが、先天的に痛みを全く感じないマウスはすぐに死んでしまう。炎症の局期には強い痛みを伴うが、この症状も修復過程であって必要なことであり、痛みには免疫を高める効果もある。但し、免疫の暴走によって起こる、膠原病などの自己免疫疾患はやっかいであるが。

以前、手術の麻酔の前に麻酔剤を投与しておくと術後の回復が良いなどと言われて盛んに行われたが、今ではむしろ、有害であることが確認されている。

痛みのカスケードは単純ではなく、当初は炎症反応を促進して痛みを引き起こすプロスタグランシンも、長期的には鎮痛に働くため長期間摂取すると鎮痛剤そのものが痛みの原因となる。慢性頭痛の原因の90%以上が鎮痛剤であるのはこのためである。さらに、抗炎症剤の使い過ぎはマクロファージの活動を抑制して免疫や修復過程を阻害する。また、プロスタグランジンは胃壁の再生に重要な物質であり、鎮痛剤によって減少すると胃出血を引き起こす。

ペインクリニックなどで局所麻酔を行えば、麻痺によってしばらくは鎮痛効果が得られる。その間に原因が治まれば良いが、変形性膝関節症の患者などでは、その効果は1時間か長くても1日足らずである。患者個人の原因に即した鍼灸治療であれば効果は一時的ではなく遥に効果的である。患者は数回の治療で軽快していくことを実感できる(教科書的な、単純に膝周辺の経穴への刺鍼は効果は無いが)。この効果は、それぞれの患者の痛みの原因を特定しているからであり、膝の痛みが原因部位を特定し易いことも幸いしている。私の鍼治療は一義的には鎮痛を目的としてはいないが、結果として痛みは軽減するのである。

医師は薬剤の無益さを真摯に認識し、医学的に正当な治療をすべきである。例えば、整形外科医が頻繁に行っているヒアルロン酸の注射などには効果が無く、むしろ有害であることは多くの研究結果で検証済みである。もう21世紀なのだから、患者に正しく知識を伝えるべきだし患者側もそれ相当の勉強をすべきだ。

しかし、私のようなことを言っていたら繁盛は期待できず、死ぬまで貧乏鍼灸院を続けることになるだろう。 性分はなかなか変えられず、師走の風が身にしみる。