中医学における「心」とは何か [蔵象観の起源と真実]

中医学における「心」とは如何なるものでしょうか。先ず最初に念頭におくべきことは、中医学の源流となっている『黄帝内経素問および霊枢』は、今から二千年以上も昔に編纂された書物であることです。ですから、現代の人間なら誰でも知っているような、簡単な医学知識も検査機器も存在しなかったことに留意して読み解く必要があります。現代医学の先入観で古代の記述を読むと、どうしても拡大解釈をしてしまいます。

『黄帝内経』の記述に見られる「心」の機能と病態

機能
・血(血脈)を主どる
・神を蔵す
病態
・心痛
・出血、血行不能

先ず最初に結論から述べますと、『黄帝内経』においては、血液循環および心臓のポンプ作用の認識は存在しません。「心」の機能とは、医学知識の全くない人間が心臓を解剖観察して想像した認識に他なりません。それは、心臓が血管と直接連結した構造であることと、内部の血液の存在から発想した認識です。すなわち、血管のターミナル的存在としての認識です。

「心は神志を主る」として精神作用や思惟活動を司るとする、心臓を精神作用の場として捉える考えは、古代においては西洋も同様でした。この考えは医学的には全く無意味ですが、現代の中医学では今でもこの考えを踏襲して、精神疾患に対し「心」に関係する経穴(ツボ)への治療が行われるなど、診療理論としています。

では、中医学書による解説を見ていきます。

先ず、心の機能についての中医学書の解説では、「脈とは血脈のことであり、経脈ともいう。これは血液が運行する通路である。"心は血脈を主どる"とは、血液を椎動して脈中に運行させ、身体各部を滋養するという心機能を説明したものである。」、と記されています。

この解説の中で最も疑わしいのは、「血液を椎動して脈中に運行させ、」です。当時、現代医学におけるような血液循環や、その動力源としての心臓のポンプ作用を認識していたかのような解説です。しかし実際には、心臓が血液を送ることを明確に示した記述は存在しないのです。この解説の根拠としている原典の記述について、以下で検証します。

「心」の機能に関する『黄帝内経素問および霊枢』の記述
 
『素問』六節蔵象論篇:
「帝曰.蔵象何如.岐伯曰.心者.生之本.神之変也.其華在面.其充在血脈.」

訳:「帝曰わく.蔵の象は如何.岐伯曰わく.心なる者.生の本.神の変なり.その華は面にあり.その満は血脈にあり.」
この記述において、ポイントとなるのは、「其充在血脈」です。これは、「心」の状態は血脈に現れる、つまり、「心」の健康状態の指標としての血脈を説いているのです。

『素問』五蔵生成篇:
「心之合脈也.其栄色也.其主人也.」
訳:「心の合は脈なり.その華は色なり.その主は腎なり.」
「心之合脈也」は、心臓が唯一血管と直接連結する臓器であり、管腔内部が血管と連続する構造となっていることを認識して示したものと解釈できます。

『素問』痿論篇:
「黄帝曰.五蔵使人痿.何也.…心主身之血脈.」
訳:「.心は身の血脈を主り.」
これも、「五蔵生成篇」の認識と全く同様であり、心臓を血管のターミナル的存在として重視したものです。

『霊枢』経脈篇:
「手少陰気絶.則脈不通.少陰者.心脈也.心者.脈之合也.脈不通.則血不流.血不流.」
訳:「手の少陰の気絶すれば.則ち脈通ぜず.少陰なるものは.心脈なり.心なる者は.脈の合なり.脈通ぜざれば.則ち血流れず.」
この記述において、ポイントとなるのは「脈不通」です。端的に言えば「一種の通過障害」と解釈することが妥当です。心臓が血液を循環させる動力源であることを、認識していると解釈できる記述は全論篇中に存在しません。

解釈において留意すべきは、前述したように、現代医学知識による先入観によって拡大解釈してはならないことです。最も重要なポイントは、全身の血液循環を認識できていないこと、また、直接的に心臓のポンプ作用を示すと考えられるような、「動詞的」記述が存在しないことです。

古代中国において、血液循環の正確な全体像や、その循環が心臓のポンプ作用によって行われることが認識された事実はありません。西洋医学においても、2世紀に入った頃のガレノス(Claudius Galenos 130-201)の認識では、前述した「経脈別論」と同レベルでした。1628年にハーベイWilliam Harveyの「動物の心臓ならびに血液の運搬に関する解剖学的研究」によって、実験的に証明されるまでは認識されなかったのです。紀元前後に編纂された『黄帝内経』に心機能の認識があった主張することには無理がありすぎます。このように、正常な歴史認識によって判断すべきことなのです。

前述した「心の精神作用」について補足しますと、アリストテレスが思考の中心を心臓と考えていたのに対し、ヘロフィロス(BC330-280)は既に、運動神経と感覚神経を区別し、神経の中心が脳であり、脳が思考や知性の座であると唱えていました。これは『黄帝内経』編纂(BC100-AC100)とほぼ同時代のことです。

まとめますと。
中医学における「心」の機能とは、「血(血脈)を主どる」のみです。この認識は、血管と直接連絡する構造と、内部(ここでは静脈)の血液から発想したものであり、血管のターミナル的な存在です。言うまでもないことですが、「心は神志を主る」として、精神作用や思惟活動を司るとする考えから、精神性疾患を「心」の病症とする分類は医学的には無意味です。

「心」の病症

中医学書では、「心」の機能とする「血を主る」「神を蔵す」から、血液の循環や出血、精神的症状までも心の病症として説いています。このような心の生理観から派生した病態については多くは無意味ですが、その検証は後述します。先ず、医学的な心臓疾患による病症を認識した記述について検証します。

『霊枢』経脈篇:
「手少陰気絶.則脈不通.少陰者.心脈也.心者.脈之合也.脈不通.則血不流.血不流.則髪色不沢.」
訳:「手の少陰の気絶すれば.則ち脈通せず.少陰なる者は.心脈なり.心なる者は.脈の合なり.脈通ぜざれば.則ち.血流れず.血流れざれば.則ち髪色潤わず.」 
この解説の意味は、端的に言えば血液の通過障害です。「心者.脈之合也」とは、心臓が血管と直接連絡する構造であり、血液を集めることを意味したものです。その機能障害として、血行不良も表現していますが、心臓のポンプ作用そのものの障害を意味するものではありません。

『素問』痿論篇:
「心熱者.色赤而.絡溢.」
訳:「心熱する者.色赤くして.絡脈溢れる」
「是動病・所生病」における、心経の経脈病候との関連性から推測しますと、この熱は単なる熱発ではなく、心筋梗塞の際の発熱を意味するものと考えることが妥当です。(是動病・所生病の医学的解釈は、以前にこのブログで紹介)

『素問』標本病伝論篇:
 「心病先心痛.一日而咳.三日脇支痛.五日閉塞不通.身痛体重.三日不已.死.」
訳:「心病は先ず心痛み.一日にして咳.三日にして脇痛む.五日にして閉塞して通ぜず.身痛み.三日にして已えざれば.死す.」
心筋梗塞による、心機能低下の終末像としてのうっ血性心不全を表現したものと考えられます。咳は、発作性の呼吸困難(心臓性喘息)によるものであり、胸腔内血液量の増大による肺うっ血が原因です。重症例であれば、記述にあるように数日以内に死亡することも十分にあり得ることです。

『霊枢』厥病篇:
「真心痛.手足清至節.心痛甚.旦発夕死.夕発旦死.」
訳:「真の心痛.手足冷えて節に至り.心痛甚だしきは.朝に発すれば夕に死.夕に発すれば朝に死す.」
これもまた、心筋梗塞の経過を表現したものであり、心タンポナーデの症状です。心筋梗塞に伴う心膜炎によって心膜内に貯留した液により、心膜腔内圧が上昇して心臓の拡張期弛緩および充満が制限された状態です。急性死に至る胸部痛と、「冷たい四肢」が病状を正確に示していると言えます。

『素問』痿論篇:
「悲衰太甚.則胞絡絶.則陽気内動.発則心下崩.数洩血也.」
訳:悲衰甚だしければ.心包絡絶し.則ち陽気内動す.発すれば則ち心下崩し.しばしば洩血するなり.」
「心下崩」は、張志聡の説では血尿です。心臓疾患と血尿は直接的には関連せず、恐らく、心の「血を主る」とする機能と、精神的影響からの発想であると考えられます。

上記、「心熱者」、「心病」、および「真心痛」は心筋梗塞の症状を見事に認識しており、『黄帝内経』の、病症のパターン認識能力の高さを示すものです。

まとめますと。

中医学における「心」の病態とは心筋梗塞の症状です。
心筋梗塞の際の胸痛の激しさと、死に至る病であることを認識しており、この痛みの部位感から心臓の病態であることも想像したと思われます。しかし、当時の技術と病理学的知識では、死亡後の解剖によって心臓そのものの異常は確認できなかったと思われます。この推測は、「心」に関してそのような記述が見られないことから、妥当なものであると言えます。

上に示した記述からも、『黄帝内経』の、病症観察における症候のパターン認識能力は相当優れていたと言えます。しかし、当時は心筋梗塞を病理学的に究明する手だては無かったのです。その後、この病症による分類が発展したことに加え、思想的解釈の固定化によって、病気の原因や病態が科学的に研究されることはありませんでした。

一般に言われているような、中医学が人の全体を観るとする通説は詭弁に過ぎないのです。私は、鍼灸が学問として、また科学的な治療として健全に発展するには、中医学を捨てることから始めるべきであると主張しています。それは、日本における、これまでの先人達による研究業績の先にあるものと考えています。

長くなりましたが、この記事は、今まとめている原稿の一部を解りやすく抜き書きしたものです。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。

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