経脈別論にみる初期素問の生理観の検討 [黄帝内経の生理観]

 本稿は、以前に(「黄帝内経素問:経脈別論」の生理観の再検討2008.10.9)として投稿した記事の改訂版です。元々は、以前に鍼灸の専門誌(医道の日本誌2006.6月号)に掲載された論考ですが、最近見直したところ多くの点で誤りがあると考え書き直したものです。この記事は、現在執筆中の論文の一部になっており、今後さらに修正される可能性があることを最初にお断りいたします。

 これまでには、経脈別論の記述内容を詳細に検討したものはありません。本稿は従来の解釈とは大きく異なっています。 

 中医学の本質を明らかにするためには、先ず、『黄帝内経』の生理観について解明することが求められます。しかしながら、『黄帝内経』の原典は消失しており、その後の時代に編集されたものは各篇の内容および編纂時期が錯綜しており、全篇を統括する理論の構成は困難です。
 本論文では、草創期の『黄帝内経』の生理観を解明するために、『素問』の中でも初期の時代に書かれたとされる「経脈別論」の記述を医学的に解読しました。「経脈別論」では、胃に入った食物中の栄養素の流れを解説して人体の基本的な生理を論じ、その理論から寸口脈診の根拠と脈像とその病症を示しています。

 「経脈別論」の評価には、その診脈法が『素問』の主流に属さないために重要視されず、その後の『甲乙経』には記されていないとする意見がありますが、その一方では、生理についての記述は『素問』の中でも最も洗練されたものと評価する意見もあります。実際に、中医学の解説書では、気血の作用や臓腑機能などの根拠を説明する際に「経脈別論」の記述を引用したものが多く、中医学における生理観の基本的な概念となっています。しかしながら、その注釈は『黄帝内経』以後の古代思想の枠内での解説をそのまま踏襲したものです。

 『黄帝内経』の本質を解明するには、医科学の未発達な時代の素朴な想像であることに留意しで究明することが求められます。改めて、「経脈別論」の記述を分析することで『黄帝内経』初期の生理観の本質を解明できるとともに、中医学の形成過程と問題点を明らかにできるものと考えています。

 ここからは、最近書いた原稿の一部を抜き書きし、以前に投稿した記事を変更したものです(2013年8月29日訂正)。


経脈別論にみる初期素問の生理観

 前述したように、『黄帝内経素問』の「経脈別論」では、胃に入った食物中の栄養素の流れを解説して人体の基本的な生理を論じ、その理論から寸口脈診の根拠と脈像とその病症が解説されている。「経脈別論」は、『黄帝内経』において臓腑機能を論じた文献の中でも最も初期の時代に書かれたものであり、その後の蔵象観の基本的概念となっている。本書では、蔵象観の基礎となった「経脈別論」の医学的解釈に当たり、前提となる条件を設定しており、その内容を以下に記す。

1.医学知識が全くない人間による、肉眼的観察の視点で解釈する。
2.現代医学における、系統解剖学、生理学などの知識は全て排除する。
3.『黄帝内経』における臓腑の記述には具体性があり、臓腑機能の認識形成の端緒には具体的事実が存在する。したがって、構造を示す記述は全て実質的な意味があるものとし、臓器の形態や位置関係、および神経・血管の分布と連絡関係などを示す記述を重視して、一切変更しない。
4.『黄帝内経』の記述中に存在しない機能や医学用語を勝手に加えない。
5.現代医学の常識によって単語の意味や文章の構成を変更しない。
6. 使用されている語句の解釈を統一して整合性を確保する。但し、原文中の空白部分は筆者の推測によって解釈するが、介在する神経・血管などの具体的な構造によって補足する。   
 
 以上、6項目を前提条件として解釈する。本書では、「経脈別論」の中でも生理観が述べられている、「食気入胃より揆度以爲常也」までの記述を解釈し、脈像についての記述は対象としない。尚、この「経脈別論」の医学的解釈は、以前に鍼灸の専門誌に掲載された原稿を大幅に訂正して筆者のブログに紹介した記事を、さらに再構成したものである。 

解釈の対象とする原文

 「食気入胃.散精於肝.淫気於筋.食気入胃.濁気帰心.淫精於脈.脈気流経.経気帰於肺.肺朝百脈.輸精於皮毛.毛脈合精.行気於府.府精神明.留於四臓.気帰於権衡.権衡以平.気口成寸.以決死生.飲入於胃.遊溢精気.上輸於脾.脾気散精.上帰於肺.通調水道.下輸膀胱.水精四布.五経並行.合於四時.五臓陰陽.揆度以爲常也」

 原文の解釈に先立ち、記述に見られる「臓腑の名称」と、「何らかの力・作用および物質的要素」を示すものと推測される単語を、記述順に抜粋して筆者の解釈を記す。

臓器名

胃:胃(現代医学と同義、以下同様)
肝:肝臓
心:心臓
脈:静脈
肺:肺
皮毛:表皮を含む末梢全体
毛脈:末梢の細血管(毛細血管の認識は無い)
府:縦隔腔
四臓:心・肺・肝臓・脾臓
権衡:左右の上腕動脈~橈骨動脈を天秤に見立てたもの
気口:橈骨動脈拍動部
脾:脾臓
水道:腹膜腔内(リンパ(血漿)の通り道として)
膀胱:膀胱
五経:心経・肺経・肝経・脾経・腎経
五臓:心臓・肺・肝臓。脾臓・腎臓

力・作用および物質的要素

食気:食物中に存在する何らかの物質的要素および作用をもたらす力
精:物質的要素(動脈および静脈中を行く物に分類)
気:何らかの作用・力(動脈と静脈で分類)
濁気:静脈中を行く作用・力
精:物質的要素(動脈中と静脈中に分類)
脈:静脈
脈気:静脈中の作用・力
経:経脈(経脈別ろんでは、恐らく動脈)
経気:経脈の力・作用
府精:縦隔腔内に溜まる、動脈中の力・作用
神明:精神作用
飲:胃に入った水分
精気(8.):血漿成分中の作用・力
脾気:脾の作用
水精:リンパ(血漿)中の何らかの物質的要素
陰陽:静脈および動脈

その他

揆度:書物名、脈診法
寸:寸口脈診

原文の訳と医学的解釈
上記原文を1.~12.に分け、原文に続いて( )内に訳文を記し、その下に医学的解釈とその根拠を記す。

 先ず、解釈に先立ち、以下に略語を示す。

 動脈中の物質的要素;AM, 動脈中の力・作用;AE, 静脈中の物質的要素;VM, 静脈中の力・作用;VE, 血漿中の物質的要素;PM, 血漿中の力・作用;PE 

1.食気入胃.散精於肝.淫気於筋.(食気、胃に入れば、精を肝に散じ、気を筋に淫す)

 「食気」、則ち食物中に含まれる、身体を栄養する全ての物質的要素と作用となる力(AE , AM , VE , VM)が胃に入ると、その中のAMを肝臓に分け与える。「気」、すなわちAEは全身の筋へと送られる。この一連の流れを整理すると、「胃→肝臓→筋」となる。

 1.では、食気における動脈中の成分(AE , AM)を解説していると考えられる。胃に分布する動脈のうち、右胃動脈は直接固有肝動脈より肝臓へ、また、左胃動脈と左大網動脈は腹部大動脈からの分岐点において、総肝動脈へ連絡して固有肝動脈へと進み肝臓へと入る。その後、肝臓からAMが筋へと送られる。この肝臓から筋への流れの意味が肝の作用によるものか一連の流れに過ぎないものかは、この記述のみで判断することは困難である。しかし、五臓生成篇の「肝之合.筋也」、痿論篇の「肝主身之筋膜」、六節蔵象論篇の「充在筋」などから判断して、肝の作用であるとする。この前提に立てば、1.の要点は、肝から全身の筋への輸送であり、その結果、筋は動くことができるとする認識に繋がってくる。

 筋は全身の筋を意味すると考えられるが、これを構造的に補足すると、肝臓からは、再び、固有肝動脈、総肝動脈へと戻り腹部大動脈へと入る。ここより、胸大動脈を上るものは左右の鎖骨下動脈を経て、上肢および体幹の動脈へと進み筋に分布する。また、腹部大動脈を下るものは、左右の腰動脈などで腰部体幹の筋へと分布し、大腿動脈から下肢へと向かい下肢の筋に分布する。

 以上の解釈は、解剖学的知識がない者であっても、肉眼的観察によって、血管の分布と臓器の位置関係から想像可能であったと考えられる。当然ながら、医学的な血液循環の方向性は認識していない。
 
 では、肝臓と筋との関係は如何に発想したのであろうか。詳細は蔵象観の章で述べるが、恐らく、肝硬変で死亡した患者の筋の状態を観察した知見が基になったものと考えられる。成長ホルモンの刺激によって、肝臓や骨よりソマトメジンC(IGF-I)が分泌されるが、肝硬変では顕著に減少して筋量の減少や性腺機能の衰えを起こす。死亡後の解剖で確認した肝臓の病態と生前の病症としての筋の萎縮を関連づけて、肝が筋を滋養するとの発想に至ったものと推測した。『黄帝内経』には、肝硬変を意味すると考えられる記述が見られるが、肝硬変の患者の生前の病症が「肝」の蔵象観の起源になったものと推測している。この件に関しては蔵象観の章で詳述する。

 「気」を、動脈中を行くものと推測した理由は、実際に死体の血管を切断して観察し、動脈と静脈の内容物の違いを認識していたと考えられるためである。死体では、動脈は虚血状態となるため、静脈中の血液とは違い、何らかの「力・作用」が流れているものと想像して区別した可能性が高い。その根拠として、西洋医学においてもハーベイ以前には、動脈は「生気の通路」として認識されていたことから、当時の中国においても同様の錯誤をしたものと推測した。

 最初に食物が入る臓器である、胃を起点として、「食気」は胃に分布する血管によって体内へと取り込まれると考えている。血管の内容物から動・静脈の違いを知り、その機能を想像して区別している。血管のうち、虚血状態となっている動脈中に存在する「何らかの物質的要素」が肝臓へ運ばれると考えた。しかしこれは、医学的な意味における消化吸収とは異なることに留意する必要がある。また同時に、消化吸収における小腸の機能も全く認識してはいない。『黄帝内経』全篇を見ても、小腸および大腸は水分を濾し分けて大便として運搬する機能のみが記されていることからも明らかである。

2. 食気入胃.濁気帰心.淫精於脈(食気、胃に入れば、濁気は心に帰し、精を脈に淫す)
3. 脈気流経.経気帰於肺.(脈気は経に流れ、経気は肺に帰す)

 2.と3.については、連続して解釈する。筆者が以前に鍼灸の専門誌に発表した内容を以下に示す。

 「2.食物中のVEは左胃静脈より左下横隔静脈、下大静脈を経て心臓に属すとともに、VMは全身の静脈を潤す。3.VEは経脈に流れ、経脈の力・作用は肺に属す。」

 一方、一般的な成書では、「食物が胃に入ると、別の一部分の濃厚な精気は、心臓に注ぎ入り、そこでしみこみ溢れた精気は血脈に輸送される。血気は経脈の中を流れ、経脈の中の血気は肺にもどります。」と、記されている。
上記、二種類の解釈は若干の違いはあるものの、全身の血液循環を記述したものとしての判断では同様である。「食気」の流れうちの2.~3.を整理すると、「胃→心臓→静脈→肺」となる。心臓と全身の静脈とを関連させ、動脈は肺と結びつけて、肺が全身の経脈を統括することで「気」を支配すると考えていると判断した。

 しかし、不可解なのである。筆者が解釈した「静脈」および「経脈」の違いは何か。さらに、一般成書の解釈にある、「精気は血脈」および「血気は経脈」の「精気」「血脈」「血気」は原典には存在しない記述であるにもかかわらず、その根拠は一切記されていないのである。経脈別論編纂当時には、経絡概念の全貌が未完成であった可能性はあるが、「脈気」と「経気」と別名で記述されている以上、何らかの意味をもって分類されていたと考えるべきである。また、解釈の根拠を論理的に示すべきである。
    
 結論を先に述べると、2.~3.までは肺循環を示したものと推測した。但し、医学的な意味での本来の肺循環でないことは当然である。同時に、上行大動脈を気管と誤認し、肺の一部と考えていることに留意する必要がある。これは、死体では動脈は虚血状態となっており、この部位の動静脈と気管および気管支の複雑さから誤認したものと考えられるが、当時は、西洋医学においても同様の錯誤があった。また、内景側人蔵之図および心包蔵の図においても、心臓から上に心系と示された管が出て、そのまま肺管へと続いている様子が描かれていることからも、ほぼ間違いはないと考える。
 
 肺循環を示したものと判断して、改めて解釈すると、「食物中のVEは左胃静脈より左下横隔静脈、下大静脈を経て心臓に属す」までは同様であるが、「精を脈に淫す」は、静脈中の物質(VM)が肺静脈に入ることを意味する。「脈気は経に流れ」は、静脈中のVEが経脈、すなわち肺動脈へと流れてAEとなって肺に属す「経気は肺に帰す」となる。原典の記述は曖昧であるが、胃から心臓への静脈を介した流れと、心臓および肺との関係からこのように推測した。恐らく、経脈別論篇の作成段階では経脈概念は未完成であったものと推測し、動脈を経脈、静脈は単に脈と呼び区別したものと考えた。

 『黄帝内経』には血液循環の原動力としての心機能の認識はなく、循環の方向性も認識してはいない。心臓は、臓器の中でも唯一血管と直接連なる構造から、血管のターミナル的存在として捉えた認識である。心臓の拍動は直接観察できないことより、感じられる鼓動を「宗気」の活動として認識していた(後述)。『霊枢』本神篇中の、「心は脈を蔵し」や五臓生成篇の「心の合は脈なり」は、心臓と血管が連結した構造になっていることを示したものであり、心臓のポンプ作用を認識したものではない。また、医学的な血液循環は認識できてはおらず、血液の流れは複数の方向が混在したものである。

4. 肺朝百脈.輸精於皮毛.(肺は百脈を朝し、精を皮毛に輸す)

 肺は全身の経脈を統括し、AMを末梢に送る。

 3.の解釈による、上行大動脈を肺管と見た誤認によって、動脈を通じてAMを全身の抹消へと送ると見て、全ての経脈を統括すると考えた。但し、経絡の理論では、「手の太陰肺経」を正経十二経脈のスタートとしているが、この経絡としての肺経の走行、分布とは異なることに注意する必要がある(経絡の構造的解釈で説明)。

5. 毛脈合精.行気於府.(毛脈は精を合し、気を布に行る)

 末梢の血管はAM・VMを合わせ、その結果生じたAEは動脈中を中枢に戻り縦隔腔内(府)にゆく。

この流れは、「末梢の血管→縦隔腔」である。
縦隔腔は心臓の上に位置して左右の肺に挟まれた、閉鎖的空間であるとともに、大動脈弓を中心に血管が密集している。この空間を、1つの臓腑のように捉えて「府」と呼んだものと推測した。末梢の細動・静脈が合してAEを合成し、その力は、動脈を中枢へと戻り縦隔腔に集まると考えたものである。

6. 府精神明.留於四臓.気帰於権衡.(布の精、神明は、四臓に留まり、気は権衡に帰す)

 この流れは、「縦隔腔中のAE(精神作用を含む) →肝・心・肺・脾→左右上腕動脈→橈骨動脈拍動部」である。
「府」の機能を精神作用(神明)の起源として捉え、精神を高揚させると考えた。その「府」の精であるAMは四臓に溜まり、その気であるAEは橈骨動脈拍動部(権衡=寸口)に属す(拍動として触知)。則ち、精神的な興奮や動揺によって胸の鼓動が激しくなることから精神作用の起源として捉えた。橈骨動脈の拍動は心臓の拍動を起源とすることは認識できず、抹消の血管にて合成された何らかの力・作用(AE)が臓器を生かす原動力として、またその状態を表す表象として認識し、この橈骨茎状突起部の拍動部にて診察することの(寸口脈診)根拠としている。
 「権衡」を腎臓とする意見もあるが、これは間違いである。「権衡」は天秤であり、上行大動脈を中心にして、左右の上腕動脈から橈骨動脈を天秤棒に見立てたものである。素問:玉版論要篇に「治在権衡相奪」として、脈診後に秤の分銅を取り去って均衡を回復させることを治療法として記している。

7. 権衡以平.気口成寸.以決死生.(権衡は以て平らに、気口、寸を成し、以て死生を決するなり)

 6.を根拠として、寸口脈診によって死生を診断できることを説いている。

8. 飲入於胃.遊溢精気.上輸於脾.(飲,胃に入れば、精と気を遊溢し、上りて脾に輸す)

胸腔および腹腔内のリンパの源泉とその流れを想像したものと推測した。胃に入った水分中のPMは左右大網静脈、PEは右胃大網動脈によってそれぞれ胃の大彎を上るようにして脾臓に送られる。

恐らく、血液を放置すると血球と血漿成分に分離することを経験的に知っていたものと推測される。さらにその水分が血漿、リンパ液および関節液など、体内のあらゆる組織液の源泉であると認識している。

8.~11.までは、摂取した水分の流れを解説したものであり、その流れを整理すると、「胃→脾→肺・腹膜腔内↓膀胱」、→五経脈に並行」である。

9. 脾気散精.上帰於肺.(脾気は精を散じ、上りて肺に帰す)

脾の作用によってPMは分けられ、後腹膜から横隔膜を透して胸腔内へと上り肺に入ると考えている。この8.~9.までの水の流れは、病症と解剖観察を基に発想したものと考えられる。胸水、肺水腫、および腹水などの水が溜まる病症を「脾」の機能異常によるものと認識している。

腹膜をリンパが透過することは、腹膜透析からも知られているように、横隔膜の筋性部の筋線維間や胸膜下組織や横隔膜腹膜下組織にもリンパ管が存在する。腹腔内のリンパは、横隔膜の呼吸運動や腹腔内圧の変化などにより、横隔膜のstomataから横隔膜リンパ系へ吸収され、傍胸骨リンパ系の集合リンパ管を経て胸腺付近の前縦隔リンパ節から右リンパ本管に注ぐ。腹腔からのリンパドレナージは傍胸骨リンパ系経路が、腹腔内リンパの80%を占め、残りの20%が胸管を経由する。無論、『黄帝内経』当時にこのような事実を知ることは技術的に不可能である。しかし、膜を介して液体が透過することは、漠然とではあるが認識していたと考えられる。但し、横隔膜の存在は知ってはいたものの、その正確な形態までは認識できてはいなかったため、胸腔と腹腔の境界は曖昧であったと考えられる。その根拠として、1830年に『医林改錯』を刊行した王清任が、40年間確認できずにいた横隔膜の形状を正確に知ったのは1828年のことであった。また、彼は、中国人として初めて膵臓を確認し、腎臓が古典に説くような生殖中枢ではないことを述べた人物である。

尚、中医学では、8.と9.の記述を根拠として、脾には消化吸収作用もあると解釈し、脾を膵臓の機能も含めた複合的な概念であるとする説が常識となっている。しかし、「経脈別論」に記された脾の機能は「水分の運搬」であり、膵液による消化作用とは無関係である。「脾」の機能を医学的な消化作用と同一視して、膵臓の機能までも併せ持つものと拡大解釈し、「臓腑」を複数の臓器機能を包括的に捉えた概念であると解説している。このような臓腑機能における誤謬は、今日に至ってもなお中医学の特徴などとして常識化したままとなっている。

また、「脾は昇精(上昇させる)を主る」として、精を上方へ上げる作用をもつとして、あらゆる物を上げる作用があるとする解説も拡大解釈に過ぎないものである。また、念のため補足すると、中国では西洋医学が導入されるまで膵臓は発見されなかったため、『黄帝内経』中に膵臓を示す記述は存在しない。したがって、膵臓のもつ消化機能などは知る由もなかったのである。因みに、「膵」の文字は宇田川玄真の「医範提綱」(1805年)によって初めて記された、日本製の文字である。

10. 通調水道.下輸膀胱( 水道を通調し、下りて膀胱に輸す)

腹腔内を水の通り道と考えており、「下輸膀胱」は腹腔内のリンパを膀胱内に溜まる尿の起源として捉えたものと推測した。『黄帝内経』では輸尿管は発見できておらず、腎臓で尿が生成されることも認識してはいなかった(後述)。恐らく、腹腔最下部において、腹膜に接してその下側に存在する膀胱を見て、尿は腹膜を透して膀胱内へと入ると想像したものと考えられる。

構造的連絡を解剖学的に補足すると、左胃動・静脈が胃と脾を包む固有網嚢の中を通過しており、胃と脾は胃脾間膜によって固定されている。1.の肝臓へは、肝胃間膜中を左胃動脈が走行し、下へは、横行結腸間膜に連続している。この様な構造を重視して、網嚢を含む腹膜腔を独立した一個の臓器として捉えたものが、『霊枢』営衛生会篇に記された「三焦」であると、筆者は提唱している(後述) 。また、針灸大成に記された、「三焦.為六腑之一.是庄之囲最大之腑.」は、「三焦」を、五臓六腑の1つとしてこれらの腑を囲む最大の腑であることを示しており、正に腹膜を意味するものである。水道とは、この腹膜腔内のリンパ液の流れを指したものである。腹腔内のリンパ液の異常としての腹水は臨床的にも知っていたと考えられる。恐らく、肝硬変患者の解剖観察によって、脾腫と腹水の存在を知り、同時に、胸水や肺水腫の水が「脾」の作用によって運ばれると考えたものと推測した。水道を胸管とする見方も可能であるが、肺と胸管、さらに膀胱までを繋ぐには無理がある。

11. 水精四布.五経並行.(水精は四布し、五経並び行く)

 PMは、五経脈とともに全身に分布する。PMは五経脈に並行して流れて行く。これは、全身のリンパ(組織液)について言及したものと考えられる。但し、リンパ管を認識していた可能性は低い。

12. 合於四時.五臓陰陽.揆度以爲常也(四時に合し、五臓の陰陽、揆度を以て常となすなり)

 「揆度」は病気の深浅について記された書物である。同時に、患部を認識して四時(四季)の標準的な脈像に基づいて診断する方法である。(「方盛衰論篇」・「玉版論要篇」・「病能論篇」・「陰陽類論篇」・『史記』)

経脈別論が説くものとは

 古代の人間も、食物中に含まれる「何か」によって人が生きられることを認識し、その「何か」を「食気」と呼び、体内に取り込まれた後どのように巡り、どのような働きをするのかを実際に解剖して推測したものと考えられる。その思索の結果の集大成が「経脈別論」の記述である。
経脈別論の記述に見る、草創期の『黄帝内経』における生理観を総括すると、臓腑相互の関連性は周囲に分布する血管を介した繋がりから構想している。また、臓腑機能の認識は、臓器内部の状態を観察して想像したものや、病的な臓器の形態異常を弁別し、生前の病症と照合して機能や作用を推測したものが含まれる。その元となった認識は、具体的な観察に基づいて考察されたものであり、医学知識のない古代の人間の苦心の後が伺われる。しかし、理論の全体像を医学的に評価すると全くの誤りであり、臨床的な有用性はなく、一医学史としての価値を有するのみである。経脈別論の内容は蔵象観形成の過程を知る上で重要な意味をもつと同時に、後世の中医学理論の誤謬の本質が明白なものとなる。

 経脈別論に記された生理観の全体像は、食物中の栄養素の流れとその作用、肝と筋との関係、脾の作用による水分の分配とリンパの流れ、経脈の流れとその原動力としての肺の作用、循環の原動力の表象としての心窩部の鼓動と精神作用との関連性および橈骨動脈拍動との関連性と脈診の根拠、などにまとめられる。尚、本論中には、神経を意味すると思われる記述はなく、経絡の記述も未だ曖昧である。腸の記述がないのは、当時の腸の認識としては、便中の水分を濾し分ける作用であり重視されなかったためと推測される()。また、腎臓、胆嚢および膵臓も記されていない。膵臓に相当する記述がないのは、西洋医学が伝わるまで発見されなかったことによるが、腎臓と胆嚢については、編纂当時は未発見であったか、機能を想像できなかったことによるものかは不明である。

尚、この記事は現時点における考えを示したものであり、今後再び変更される可能性があることをお断りいたします。また、制作中の原稿の一部のため、「後述」などは、この記事内では示していません(一部訂正2013.10.13.)。

追伸
本記事の最新の内容は、拙著「中医学の誤謬と詭弁」に記されています。
本書は市販はしておりませんが、個人的に販売をしております。詳しくは、当ブログのカテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。
尚、ISBNを取得しておりますので、国会図書館でも閲覧できます。

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岸孝幸

すみません。東概を勉強中のものです。LMって何の略ですか。
by 岸孝幸 (2019-01-17 23:53) 

岸孝幸

すみません。ついでにLEの意味も教えてください。
by 岸孝幸 (2019-01-17 23:57) 

Yoshii

ミスプリントでした。

改めて見直したところ、ミスプリントでした。LE,LMではなく、PE,PMでした。つまり、「plasma」の略です。

出版後、ほとんど読み返してはいませんでしたので、間違えに気づかずにいました。この度は、貴重なコメントありがとうございます。


by Yoshii (2019-01-18 08:50) 

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