「肝」にみる、内経の蔵象観-2. [蔵象観の起源と真実]

 「肝」の病態認識の起源、その2つの流れ
 
 「肝」の病態認識の起源には、素問:大奇論篇中の「肝雍」の肝硬変と、同じく脈解篇の「頽疝」のフィラリア症の2種類が存在します。「頽疝」のフィラリア症は、「足の厥陰肝経」の分布が未だ肝臓に達していない頃(内経のルーツである、馬王堆漢墓帛書の「陰陽十一脈灸経」の記述による)の「肝経」の認識で、下腿および生殖器に現れた病症を分類したものです。これに対し「肝雍」の肝硬変は、恐らく、死体解剖の際に気づいた肝臓の病変と、その生前の病症を対照させて考え出された病態観であると推測されます。これら2種類の病態と、肝臓の観察による機能の想像をもとに、「肝」の蔵象観が形成されたものと思われます。
 
 「肝」の病症として記された他の疾患については、肝臓の病態とは無関係であり、これらの2疾患に見られる症状に類似する症状を全て「肝」の病変によるものとして分類されたものと推測されます。この他の病態認識としては、肝臓の位置に対応した疼痛の部位感による分類が認められます。

 先ず、「肝雍」を肝硬変と診断した根拠から説明します。肝臓は自覚症状に乏しい臓器で、医学的にも診断特異的な臨床症状はありません。肝臓の機能すら認識できなかった時代に、肝臓の病態として判断することは不可能です。但し、死後に解剖した場合、肝硬変であればその異常に硬くなった肝臓の様子に気づき、生前の症状を多くの患者から類推することは可能です。実際、「肝雍」の病症には、肝臓の状態と思われる記述と、肝硬変の末期に見られる症状が示されています。

 大奇論篇の「肝雍.両胠満.臥則驚.不得小便」の、「肝雍」は肝が塞がることを示しており、肝硬変であると推測できます。「両胠満」は左右の横腹の脹満であり、腹水を意味します。腹水が貯留している場合、患者を背臥位で診ると、腹水は左右側腹部に集まるのでこの記述のような状態になります。「臥則驚」の「臥すれば則ち驚く」とは、寝ている時の精神症状で、肝性昏睡に至る以前の意識混濁に精神的興奮が加わった、せん妄と解釈されます。「不得小便」は排尿障害であり、肝障害の進展に伴う腎排泄能の低下によるものと思われます。これらの症状を全て同時に説明できる疾病として肝硬変が最も疑われます。黄疸の記述はありませんが、必ずしも必発の症状ではありませんので問題はないと思われます。

 もう一方の、素問:脈解篇の「頽疝」は象皮病による陰嚢水腫であり、フィラリア症であると考えられます。本篇は、「霊枢:経脈病候」の母体と言われているように、内容的にほぼ同様です。以前に、経脈篇に記された経脈病候の「是動病・所生病」の解釈で「肝経の経脈病候」はフィラリア症であると示しました。

 脈解篇の「頽疝少腹腫…腰脊痛」及び経脈編の「遺疝・胸満・狐疝・閉癃」は陰嚢水腫、ソケイリンパ節腫脹,発熱,尿閉さらに胸満は乳び性胸水によるものと推測すると、フィラリア症の症状は揃っています。

 素問:痺論篇の「肝痺者。…上爲引如懐」は上から下に引っ張られて、何かを懐き抱え
ているような状態です。これは、高士宗の説では、「寒邪の侵犯により下腹部に瘀血が蓄
り、腫瘤を形成し、睾丸に引きつれて痛む病気であり、 経脈篇による肝経の経脈病候の“頽疝”である」と言われています。判然としない症状も含まれていますが、主な症状からフィラリア症と考えられます。

 「肝痺」はこの他に、素問:五臓生成篇,玉機真臓論篇,四時刺逆従論篇,霊枢:邪気臓腑病形篇にも記されています。何れも、詳しい症状は記されてはいませんが、脈解篇・痺論篇との整合性を考慮すると、フィラリア症であると判断することが妥当であると思われます。

 また、霊枢:邪気臓腑病形篇には、この他に、肝脈の異常にみる病症が記されています。「肥」は肥気または肝積であり、左脇下にあって覆杯のごとく、両脇下痛み少腹に引き、足が腫れて冷えるなどの症状です。「水瘕痺」は水積による小便不利、「消癉」は熱中、津液損耗、「溢飲」は水気病で水液が体表や皮下組織に溜まり、四肢の浮腫,疼痛,喘咳を生じたものです。「癪疝」は頽疝と同義語で、同じくフィラリア症で、これらの症状は全てフィラリア症の症状を記したものです。

また、大奇論篇の「肝満,腎満,肺満」は浮腫、「癖」は腹部の腫塊、「石水・風水」はいずれも水腫病の一種です。「石水」は下腹部の腫脹,脇下の脹痛で、「風水」は発熱,悪風,顔面・四肢の浮腫,骨節疼痛,小便不利を症状とします。小便不利は、フィラリア症で、乳び尿中に凝塊を生じた場合に、側腹痛や排尿困難を生じることで説明できます。「疝」には種々の意味があり一定しませんが、この場合は、体腔内容物が外に突出するものや、睾丸・陰嚢の腫大疼痛を意味するものと思われます。これらの病症は肝の脈型に対応して説明されていますが、別々の疾患ではなく、フィラリア症によるリンパ管炎,リンパ節腫,陰嚢水腫によって全て説明できます。

 リンパ系フィラリア症は、象皮病による巨大な足と、陰嚢水腫による巨大な陰嚢のように、あまりにも特徴的であり内経当時も特定の疾患として認識できたものと思われます。日本でもかつては北海道を除く各地で広く見られ、西郷隆盛の陰嚢が本症により小児頭大であったことは有名な話です。日本では、政府によって1962~1971年の間に根絶に成功しましたが、世界では未だに、100以上の国で1億2千万人以上の感染者数が推定されています。

 以上が、素問:大奇論篇中の「肝雍」は肝硬変であり、同じく、脈解篇の「頽疝」はフィラリア症であると結論した根拠です。そして、この2疾患が「肝」の病態観の起源として形成され、類似する病症を示す他の疾患も「肝」の病態として認識し分類しました。

 「肝」の蔵象観・弁証法は、この様な内経以後の蔵象観の形成過程を検証せず、類似する機能や、症状を起こす臓器を広く「肝」の概念としてまとめたものです。さらに現代の中医学は、この考えを補強するために、内経には記述の無い病症まで都合良く書き加えて作り上げた理論体系です。多くの学生や鍼灸師はこれらの事実は知らず、内経による臓腑とは、現代医学の各臓器機能を超越した包括的な概念であるとする誤謬を信じているようです。

 次回以後、この「肝」の病態観が、他の病症分類を形成するに至った経緯と、「肝」の機能についての記述の説明をしたいと考えています。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0