「肝」にみる、内経の蔵象観-4. [蔵象観の起源と真実]

 「肝」の蔵象観の起源と形成過程

 内経によって考えられた「肝」の本体は何か。また、その概念は如何に形成されたかを知るために、内経中に実際に記載された、「肝」の機能と病症について検討しました。
 特に、病症名と思われる記述について、その症状の説明から医学的診断を試みました。この検討方法を行った根拠は、内経における病症観察と症候論のパターン認識能力は非常に高く、その記述は病態観察の長期的集積として評価でき、内経の疾病観を知る上で実質的な価値があると考えたからです。

 結果を要約しますと、先ず、「肝」の具体的な機能は、“蔵血,生血気,思惟,主筋,主目”のみです。
 これらは、正常な機能の推測を前提としたものではなく、「肝」の病症観の起源となった疾患でる、素問:大奇論篇中の「肝雍」の肝硬変と、同じく脈解篇の「頽疝」のフィラリア症の、2疾患の病症から正常な機能を推測したものと考えられます。医科学が未だ存在しない古代の人間が、肉眼的観察によって肝臓の機能を想像することは不可能であり、死亡した患者の肝臓の観察と生前の病症を対照させて推測することが唯一可能な手段であったと考えられます。
 その他には、病変を経絡の分布から分類した方法や、肝臓の位置に対応した、疼痛などの症状をその部位感によって、肝臓の病症として推測した認識が散見されます。
 

「頽疝」のフィラリア症
 これは「足の厥陰肝経」の走行が、下腿内側から泌尿・生殖器への分布として認識されていた時代の病症認識です(内経のルーツである、馬王堆漢墓帛書の「陰陽十一脈灸経」の記述による)。フィラリア症に類似する、その他の、下腿および泌尿生殖器の病変も「肝経」の病症として認識しています。

「肝雍」の肝硬変
 病死直後の解剖によって観察した肝臓の病変と、生前の症状を対照させて肝臓疾患の症状を認識しました。しかし、その疾病の本体である肝臓の機能や病態は究明できなかったため、症状のみに視点が向けられました。その結果、肝臓の病理とは何の脈絡も無い、断片的な症状群を「肝」の病症として認識し、分類しています。

 「肝」の病症観となった“症状”

Ⅰ.血液を統括する機能の異常によって生じると認識した、筋,精神,目の病症
   (この認識の発端は、前述した肝硬変およびフィラリア症の症状からの発想)

 
 血 : 出血(鼻血、下血など)
 筋 : 筋力低下・麻痺,痙攣,異常運動,筋・関節痛
 精神: 精神障害,錯乱,せん妄,意識混濁,昏睡,精神的興奮
 目 : 視力低下,めまい


Ⅱ.肝硬変・フィラリア症の、“症状”による認識
 
 腹水,四肢・顔面の浮腫,陰嚢水腫(肝硬変・フィラリア症)
 筋・関節痛(フィラリア症)
 筋の萎縮,痙攣,異常運動,不随意運動(肝硬変)
 精神障害,意識混濁,昏睡,精神的興奮,錯乱,せん妄(肝硬変)
 各種の出血・出血傾向,下血(肝硬変)
 排尿障害・尿閉(肝硬変・フィラリア症)
 
 Ⅰ.Ⅱ.に示した症状が、臓器の病態から離れ、これらの症状群そのものを「肝」の病態として認識し分類しました。その後これらの症状が、病理学的には全く脈絡の無いまま「肝」の蔵象観・病症として一人歩きを始めることになります。近代以後、これらの症状に対する医学的解釈が行われ、「肝」とは、肝臓を超越した多くの機能や病症を包括した概念であるなどとの誤謬が生じることになります。このボタンの掛け違いによって、中医学理論は錯綜し極めてつかみ所のない不可解な内容となってしまいました。

 症状群のみを対象とした、現代の中医学を簡単に紹介します。

 Ⅰ.に示した機能とⅡ.の症状群から、「肝」の病症として、「情緒障害・うつ・精神神経症・自律神経の失調・栄養障害・循環器障害・脳血管障害・内分泌系の障害・運動系の異常・視力障害・結膜炎・月経困難症・肝炎・胆のう炎・胆石・胃腸障害(胃十二指腸潰瘍、過敏性腸障害)・甲状腺腫・乳腺腫・高血圧・突発性難聴・呼吸困難・鼠径ヘルニア」など、節操無く多くの疾患を掲げています。
 
 この様な、馬鹿げた発想の原因は「肝」の病症観が形成された経緯について全く検証されなかったことにあります。
 さらに悪いことに、最近の中医学関連の成書(1980年以後?)7.8には、「肝」の生理機能として「疎泄機能」が記されています。疎は疎通、泄は発散・昇発であるとし、この機能が正常であれば、気血は調和し、経絡は通利し、臓腑・器官も正常に活動すると解説されています。
 しかしながら、内経にはこのような記述はありません。さらに、脾・胃の機能にも影響し、胆汁の分泌・排泄にまで関わるなどと記されています。そして、これらのデタラメが「中医理論」として国家試験の問題にまで堂々と出題されています。
 これらは全て、現代医学を都合よく借用したものであり、内経とは無関係な認識です。肝臓が生理・生化学的に多彩な機能をもつことは周知の事実ですが、「疎泄機能」のような曖昧な表現を用いて、内経には存在しない医学的な機能までも「肝」の概念に加えるべきではありません。
内経の記述を解釈する際には、医学の未発達な時代であったことを念頭におき、現代医学知識の先入観による過大解釈は慎まなければなりません。

 私が診断した10種類の疾患には、現時点では医学的に何の関連性も考えらず、無意味な概念であり稚拙な論理です。百歩譲って、疾患それ自身の病態とは別に、類似した症状には発症のメカニズムなどの何らかの関連性があり得るでしょうか。医学的には関連しない、全く異なる疾患を別の概念で分類でき、さらに、治療においても共通する方法を構築できるものでしょうか。
 
 肝臓は周知のように、体内における代謝の中心で多くの機能を持っていますが、以外にも、その代謝異常が諸臓器に与える影響についての臓器相関の研究は少なく、将来に、全く異なった機能や、他の疾患との関連性が見いだされることもあり得ます。全く別の疾患が、感染症を契機として続発した、自己免疫疾患として共通するメカニズムで捉えられるケースなども増えてはいます。
 
 しかしながら、内経の認識は病症の臨床観察こそ優れていますが、その理論のほとんどは稚拙で非科学的なものです。現代医学にも通じるアイデアが多少含まれていても、過大評価は禁物です。


 今後機会をみて、現代中医学における「肝」の病態・弁証法の問題点を述べるつもりです。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。



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