「肝」にみる、内経の蔵象観-3. [蔵象観の起源と真実]

 内経の記述による「肝」の機能と、主症(肝硬変、フィラリア症)以外の病症について、私の解釈結果を述べます。

 「肝」の機能
 各篇(1.に原文の抜粋を記)に記された、「肝」の具体的な機能は、“蔵血,生血気,思惟,主筋,主目”のみです。

 蔵血は素問:調経論篇に「肝蔵血」,霊枢:本神篇には「肝蔵血」と記されています。肝臓は心臓からの送血液量の25%を受けており、血液量が多いことを解剖によって観察し認識したものと思われます。
 また、五臓生成編では「人臥血帰於肝」と、臥位になると血液が肝に帰ると記されています。実際に、肝臓の血液量は臥位に比べて立位では30%減少しますので、医学的にも正しい認識です。臥位と立位での血液量の違いを認識し、さらに運動時には、肝臓より筋に血液が動員されることも推測していた可能性もあります。

 思惟作用の根拠となる記述は本神篇の「血舎魂.肝気虚則恐.実則怒」のみです。血液中に“魂”が存在すると考えて、その血液を豊富に内蔵してこれを統括する肝に精神作用があるとする発想です。また、先述した、肝硬変の際の精神障害が、この認識を形成した要因であったと推測されます。
 因みに、肝硬変の際の精神障害である肝性脳症は、肝障害を介する脳内神経伝達機能の異常によって生じます。その中でも最も中心となるのはアンモニアの神経毒性であり、他には、グルタミン(Gln)・モノアミン・γ-アミノ酪酸(GABA)などによる神経伝達機能の異常があります。

 「主目」は、素問:五臓生成篇の「肝受血而能視」が示すように、目の機能も血液に依存すると発想し、肝の作用を受けているものと考えています。この考えは、霊枢:脈度篇にも記されています。医学的には、肝硬変と視力との関係では、肝性脳症の一症状として稀ではありますが、皮質盲と呼ばれる視力障害の報告例もあります。またビタミンAの代謝とも関与していますが、生理学的に肝臓と目の関係を推測したものでないことは確かです。

 肝によって筋を支配するとする考えは、霊枢:経脈篇の「肝者.筋之合也」・素問:五臓生成篇の「肝之合.筋也」・痿論篇の「肝主身之筋膜」・六節蔵象論篇「充在筋」などに示されています。上古天真論篇では、老化による筋の衰えを肝気の衰退によると考えています。これらの、肝が筋を支配するとする認識も、筋内にの血液が多いこと、肝から筋へ血液が動員されることより発想したものと思われます。さらに、肝硬変によって筋量の減少・有痛性痙攣・異常運動が発症することを、観察して結びつけたものと考えられます。

 医学的にも、肝と筋とは機能的に多くの関連性があります。成長ホルモンの刺激によって肝臓や骨より分泌されるソマトメジンC(IGF-I)は、肝硬変では顕著に減少し、筋量の減少や性腺機能の衰えを引き起こします。
 肝硬変患者では、筋収縮蛋白由来の3-メチルヒスチジン(3-Mehis)の尿中排泄量が正常者に比して高値で、低栄養状態が骨格筋の異化亢進を招いて筋の減少を引き起こします。 また、筋の痙攣と肝臓との関係では、肝硬変患者の約8割に、特に、夜間睡眠中に有痛性筋痙攣(腓返り・クランプ)が合併します。この一要因として、肝障害時の肝臓と下腿骨格筋におけるタウリン濃度の減少が指摘されています。クランプのMcGeeの分類では、腓返りは運動神経単位の過剰亢奮により生じると言われています。しかしながら、Tetany,Dystoniaなどの他のクランプ同様に完全には解明されていません。

 素問:六節蔵象論篇の「以生血気」による血の作用とは、この様に、血による目・筋に対する支配作用が、肝によって生ずるとする考えです。

 臨床経験から捉えた発想であるため、内容の一部には医学的な機能や病態とも関連性が有ります。しかし、それらは医学的に裏付けされた認識では無く、稚拙な理論構成であることに注意し、過大評価をしないことが肝要です。

 以上が、肝臓の機能についての想像として推測したものです。しかし、これらの認識の根元は以下に示す、肝硬変およびフィラリア症の病症からの推測であると考えられます。

 肝硬変・フィラリア症以外の疾患について

 1.で示した様に、特定の疾患と推測された病症は18種類で、これらの内、「肝満,癖,石水,風水,疝・頽疝・肝痺者・肝痺・肝経の経脈病候」は、全てフィラリア症と判断し、肝熱病・肝気熱は日本脳炎と、重複したものを除くと、13種類になります。この中で不明の3病症を除く10疾患が特定されています。

 その内訳は、「肝硬変、フィラリア症、てんかん発作、赤痢、日本脳炎、マラリア、狂犬病、髄膜炎、ムンプス、メニエル病」です。

 これらの疾患を「肝」の病症として分類した動機は、先述した様に、肝硬変・フィラリア症を起源として、この症状に類似する症状を含む疾患,想像による「肝」の機能の逸脱症状が見られる疾患,肝臓の部位に対応した、疼痛などの部位感による推測などを、「肝」の病態としてまとめ認識したものと考えられます。

『てんかん』・『赤痢』
 大奇論篇中の、「肝脈小急」の「癇」はてんかんで、「瘛」と「筋攣」も痙攣発作を意味します。他に発熱などの記述がないので、『てんかん発作』と考えられます。「心肝澼…脈小沈」は、「下血…腸澼…身熱者死」と記され、下血を伴う下痢で、発熱し、死に至る疾患は『赤痢』が最も有力です。これは、筋の痙攣と出血を「肝」の病態として認識したものです。

 「肝雍」の病症には出血は記されていませんが、肝硬変では出血傾向が現れますので、当然認識はしていたものと思われます。余談になりますが、肝臓はFⅧ以外の大部分の凝固因子を産生しています。重症肝疾患では、門脈圧亢進、脾機能亢進による血小板減少、凝固因子の質的異常が加わり、あらゆる止血機構の異常を生じます。

 また、脾との関係において興味深い記述は、素問:気厥論篇の「脾移熱於肝.則為驚衄」です。「脾の熱が肝に作用して鼻血が出る」と記されています。医学的には、肝硬変の患者の血小板減少による出血傾向に脾機能亢進が関与し、脾摘や部分脾動脈塞栓術(PSE)により血小板数の改善と肝予備能の改善が得られることが分かっています。当時、この様な認識はなかったでしょうが、興味深い内容です。

『日本脳炎』
 刺熱篇の「肝熱病」は、発熱・腹痛・精神症状に加え、「手足躁.不得安臥」の「手足をしきりに動かし、じっと横になっていられない」を、不随意運動,クローヌスと解釈すると、『日本脳炎』であると考えられます。これは、肝硬変の際の、精神症状・異常運動を「肝」の病態と認識して分類したものです。

 痿論篇の「肝気熱」も発熱性の疾患ですが、「筋痿」を筋萎縮や運動麻痺と解釈すると、回復後に運動麻痺が残ることがある『日本脳炎』と推測されます。また、刺熱篇の「肝熱」とも一致します。これも、痙攣・異常運動を「肝」の病態として認識したものです。

『狂犬病』
 霊枢:本神篇の「肝悲衰動中」は「魂傷則狂忘不精.不精則不正」を精神障害と推測し、痙攣及び「両脅骨不挙」と、呼吸困難によって死亡に至る疾患として、狂犬病が考えられます。これも、痙攣と精神障害を「肝」の病態として認識したものです。

『マラリア』
 素問:瘧論篇の「瘧疾」は、一般的にもマラリアについて解説したものと言われています。刺瘧篇では六経・臓腑それぞれの瘧疾について説明していが、「足厥陰之瘧」は、腰痛,下腹部膨満感・不快感,尿閉,下痢と、熱帯型マラリアの病状を認識していることが推測できます。「肝瘧」の「蒼蒼然(真っ青)」は重度の貧血を示したものであり、「太息」はクスマウル呼吸と思われます。一般成書では、「太息」を文字の意味そのままに「ため息」と訳していますが、「其の状死せる者の若し」とあるように、マラリアで死にそうな重体の患者の、その病状説明に無意味なため息など記すことはあり得ません。重症者で、一見ため息を繰り返すような呼吸は、クスマウル呼吸以外に考えられません。この点からも、古典を訳している者の医学知識の欠如が感じられます。尿閉も記されており、これは急性腎不全による尿毒症の状態を示しています。

『髄膜炎』
 素問:熱論篇の「傷寒」一日から六日にかけての症状の記載は、一般的な熱性疾患の経
過について記したものとも言えますが、髄膜炎の症状に近いと思われます。順序は必ずしも一致しませんが、「頭痛」,「発熱」,「腰脊強」を項部強直,Kernig現象と推測し、「不得臥」を痙攣によるものすると、「筋肉痛」,「難聴」が記され、「煩満」を悪心,嘔吐や腹痛の腹部症状も有るので、意識障害は記されていませんが、その他の症状からは髄膜炎が最も疑われます。これは、熱性の感染症の経過を、経脈中を疾病が移動するとして捉えた認識によるものです。

『メニエル病』
 素問:五臓生成篇の「下実上虚の徇蒙招尤.目冥耳聾」はめまいと難聴が同時に認めら
れ、且つ、意識障害や運動麻痺などの中枢神経症状の記述がないので、メニエル病と思われます。耳鳴りは記されていませんが、耳鳴りと難聴はいずれかの症状で診断可能です。

『ムンプス?』
 素問:臓気法時論篇の「肝病者」は脇下部の疼痛であり、疼痛の部位感による分類ですが、これに加えて、「虚」では目が見えなくなる,難聴,精神障害が記されています。「」気逆」では、頭痛,耳聾,頬部の腫脹がみられるとしています。全体を単一の疾患としてみると、ムンプスとその合併症が考えられます。但し、発熱の記載がないことに疑問は残ります。合併症の精神障害に注目して「肝」の病態と考えましたが確定はできません。
 因みに、経脈病候では、小腸経の病候を「ムンプス」であると推測しています。

 その他の病症で興味深いのは、素問:咳論篇に記述された「肝咳」です。肝硬変患者の約40%に肺内血管拡張がみられ、門脈圧亢進症を有する慢性肝疾患の約20%に肝肺症候群が認めらます。この記述からも、肝硬変患者を詳しく観察したことが分かります。しかしながら現在の中医学書の「肝の病症」には、私が知る限りでは、咳などの肺の病症は記されていません。

 以上が、内経に記された「肝」の病症について医学的に診断を試みた結果です。その大半は感染症であり、肝硬変以外は肝臓に関する疾患ではありません。その病態認識の実際の動機は、肝硬変やフィラリア症に見られる症状に、類似する症状が現れる疾患を「肝」の病態としてまとめただけの無意味な分類です。中医・漢方医学が、医学的な臓器機能や疾患単位を超越し、もっと大きく人体機能を包括した概念であるなどとは、全くの誤謬であり詭弁でしかありません。

 次回は、全体を整理して、総括します。その後、現代の中医学の蔵象観と弁証法の根本的問題点について述べたいと考えています。

追伸
 詳細は、2015年1月6日に出版した、「中医学の誤謬と詭弁」に記しています。本書については、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。
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