中医学における「脾」とは何か [蔵象観の起源と真実]

中医学による「脾」の機能の誇張が、『黄帝内経』における臓腑を医学的な臓器機能を超越した複数の臓器機能を包含した概念であるとする、誤謬を生み出す契機となっています。

『黄帝内経』の編纂当時(約二千年前)に脾臓の機能や病態を知ることは不可能でした。恐らく、内部にある血液の観察や、隣接する胃との位置関係や血管を介した連絡からその機能を想像したものと考えられます。解剖学的には、左胃動・静脈が胃と脾を包む固有網嚢の中を通過しており、胃と脾は胃脾間膜によって固定されています。『素問』太陰陽明論篇には、「…脾与胃.以膜相連耳.」と記されており、これは胃と脾が膜によって連なることを示したものであり、胃脾間膜を認識していた証拠と言えます。また、肝硬変患者を死亡後に解剖し、肝臓の状態とともに、脾腫の存在に気づき、生前の病症と対照させて機能や病態を想像したことも推測されます。しかし、これらの「脾」の機能は、本来の脾臓の機能やその病態とは無関係であることに留意すべきです。

では先ず、『黄帝内経』に記された「脾」の機能と病態を示し、それぞれの根拠となる記述について、原文と訳を示して説明します。

機能
・倉廩
・水穀の運化
・裹血 
・四肢を主り、肌肉を主る

病態
・四肢不用    
・腫満

・倉廩とは
『素問』霊蘭秘典論篇:「脾胃者.倉廩之官.五味出焉.」
訳:脾胃なるものは.倉廩之官.五味焉より出ず.
 「倉廩」とは倉のことであり、食物を貯蔵する臓腑であると考え、味覚が生ずるとも解説しています。これを、中医学書では、「脾」の機能には消化機能も含まれるとして、膵臓の機能までも含めた概念であるなどと解説していますが、現代医学における消化を意味するものではなく、単なる過大解釈に過ぎません。倉廩とは倉庫であり、食物を貯蔵する臓器として認識している。
五味が生ずるとは、現代的に言えば栄養素を分配することです。これは、味がそれぞれの好む所へ行くとする考えであり、その向かう先は五行説による配当によって分類する考えです。現代医学的な消化吸収を連想させる記述ではありますが、同一のものではありません。食物中の五味が分かれて「脾」より出ていくと考えているのです。この認識は胃に分布する血管と脾臓との血管を介した連絡を見ての発想です。これを、単純に、医学的には脾臓に消化吸収作用が無いことから、膵臓の機能を示したものとして解釈するのは、医学知識を持つ現代人の誤解に過ぎません。『黄帝内経』の時代においては、医学本来の消化吸収は認識できていないのです。さらに、中国の歴史において、西洋医学が導入されるまでは膵臓の存在は認識できていませんでした。まして、膵臓が消化に関与することなど知る由も無かったのです。「脾」の機能は、隣接する胃との位置関係や血管を介した連絡から、何らかの物質的要素が運ばれて分配されると想像したものに過ぎません。


・水穀の運化とは
 「運化」は『黄帝内経』には存在しない記述ですが、中医学書では、食物中の水分の運搬をそのように呼んでいます。

『素問』経脈別論:「飲入於胃.遊溢精気.上輸於脾.脾気散精.上帰於肺.」
訳:飲,胃に入れば、精と気を遊溢し、上りて脾に輸す.脾気は精を散じ、上りて肺に帰す.
 この記述は、「経脈別論にみる初期素問の生理観」ですでに解説していますので、簡単に説明しますと、「脾」の機能を食物中の水分を肺へ運搬することと考えています。

『素問』厥論篇:「脾主為胃行其津液者也.」
訳:「脾は胃の為に其の津液をめぐらすことを主る者なり.」
 この記述も、経脈別論と全く同一であり、水分の運搬を示すものです。これを中医学書では、「消化機能は脾の運化機能に依存しており、それにより、水穀の清微に変化させることができる。また、脾の輸布と散清の機能により、水穀の清微は全身に送られる。」などと解説しています。さらに、「脾の運化機能が失調、すなわち「脾失健運」になると、食欲不振、倦怠感、消痩、気血生化不足などの病変がおこる。」とも記されています。しかし、前述したように、「脾」に消化吸収作用があるとする認識は、医学知識の先入観による拡大解釈であり、『黄帝内経』の記述にはそのような機能は存在しません。

・昇清を主る(中医学書による)とは
「昇清」は、『黄帝内経』には存在しない記述であり、最近になって作られた言葉です。
胃に分布する血管が脾臓へと向かう走行関係から、「上る」と表現したものであり、さらに、脾臓から上方の肺へと運搬すると想像しています。この認識を拡大解釈して、「脾の昇清機能」なる言葉を作り、「昇清機能によって、水穀の清微を心、肺、および顔面部へ上らせ、心肺で気血を化生し、栄養を全身へ送る」と解説しています。さらに、「脾気の昇発がうまく行われていると、内臓の下垂はおこらない」とまでも解釈を広げています。このような、根拠のない拡大解釈によって、「脾」は昇精機能によって精を上方へ上げる作用を有してあらゆる物を上げる作用があるとする、不可解な理論が出来上がり常識化してしまいました。

・裹血とは
『難経』四十二難:「脾裹血.温五蔵.」
訳:脾は血をつつみ.五蔵を温める
 本稿は、中医学の原点である『黄帝内経』の記述を対象としています。この解説は『難経』を根拠としていますが、検証の都合上解釈します。『難経』四十二難には、「脾の重さ二斤三両、扁広三寸.散膏半斤あって.血を裹むことを主る.五蔵を温め、意を蔵すことを主る.」と、記されています。この意味は、「脾蔵には脂肪が半斤ほど散り付着していて、その中には血脈があって血が包蔵されている。」です。すなわち、端的に言えば、脾臓の解剖観察の記述です。因みに、『黄帝内経』には臓器を定義づけられるような記述は存在しません。
 
医学的に説明しますと。脾臓は、その質が柔軟で周囲臓器に影響されるため定形を示しませんが、一般的には、内外方向に扁平な長楕円形を呈することが多く、長さは平均10.5cm、重量は約90~120gです。『難経』の「重さ二斤三両」とは、一斤の重量は時代によって違いますが、漢代の一斤は現在よりもずっと少なく、223g程度で、1斤=16両(1両=14g)の関係は現在と同じであるため、約500gと考えられます。これは通常の脾臓の重さと比較すると大分重くなりますが、含有する血液の量によって著しく変化します。また、病的状態では重量が増して、慢性骨髄性白血病では4~5kgにも達することがあるため、『難経』による重量の記述は十分にあり得ると言えます。記述にある、「散膏半斤あって.血を裹む(つつむ)」の脂肪と血液の、血液とは赤随のことであり、脂肪は白随を意味するともの考えられます。赤髄は、毛細静脈管である脾洞およびリンパ様組織からでき、新鮮な状態では多量の血液を含んで暗赤色を呈します。白髄は一般のリンパ小節に一致した構造を示し、胚中心をもち灰白色の斑点として赤髄とは明らかに区別できます。血をつつむとは、内部に多量の血液を含むことを示唆したものであり、脂肪は白髄を誤解したものと考えられます。脾臓内部の観察はしていますが、当時としては肉眼的な情報以上を知ることはできず、その機能を知る手だても無かったのです。
 
中医学書では、「統血作用」なる機能として、「血が経脈中を巡航するよう統括して脈外に溢れ出るのを防ぐ機能である。したがって、脾の運化機能が減退し、気血生化の源が不足すると気血は虚損状態となり、そのために気の固摂作用が衰えると出血が起こる。血便、血尿などの多くはこのようにして起き、これを脾不統血と称す。」などと解説しています。しかし、『黄帝内経』にはそのような記述は存在しません。また、本質を理解した上での健全な発展の結果できた認識と言えるものではありません。
 
「脾の統血作用」とは、都合良く後付された概念に過ぎません。「血を裹む」とは、脾臓の内部を観察した結果の記述に過ぎず、その機能異常と出血性疾患を結びつけたと解釈できる記述は存在せず根拠もありません。当然ながら、脾臓は、生後は細網内皮系に属する臓器の1つとして赤血球を破壊すると同時に、造血臓器としてリンパ球の生産にあずかることを認識したものではありません。

但し、出血に関する記述として、『素問』:気厥論篇の「脾移熱於肝.則為驚衄」があります。これは、「脾の熱が肝に作用して鼻血が出る」とする内容です。医学的には、肝硬変の患者の血小板減少による出血傾向に脾機能亢進が関与し、脾摘や部分脾動脈塞栓術(PSE)により血小板数の改善と肝予備能の改善が得られます。無論、当時にこのような認識は不可能ですが、少なくとも現代中医学の考えとは全く逆であるとは言えます。

・主四肢・四肢不用・主肌肉とは 
『霊枢』本神篇:「脾愁憂而不解則傷意.意傷則悗乱.四肢不挙.毛悴色夭.死於春.」
 訳:「脾愁憂して解けざれば則ち意を傷り.意傷れば則ち悗乱し.四肢挙がらず.毛悴れ色夭しく.春に死す.」

これは五行説による配当です。陰陽五行説とはこの時代の自然観に過ぎず、医学と思想は切り離すべきと考え、本稿においては解釈の対象とはしません。同様に、以下の解説も五行説による配当を示したものであり、医学的に無意味と考えられるため、解釈の対象とはしません。
『素問』五蔵生成篇:脾の合は肉なり。
『素問』陰陽応象大論:脾は肉を生じ。
『素問』痿論:脾は身の肌肉を主る。

・腫満とは
『素問』至真要大論篇:「諸湿腫満.皆属於脾.」
訳:「もろもろの湿腫満は.皆脾に属す.」
多くの湿や腫れてむくむのは、皆脾による。  
胸水、肺水腫、および腹水などの水が溜まる病症を、「脾」の機能異常によるものと考えていますが、この認識も、経脈別論に記された脾による腹腔内の水の運搬作用と同様の認識です。すなわち、肝硬変に合併した脾腫の観察と腹水とを関連づけ、脾の機能異常によって水の運搬作用が障害されると想像したものです。また、『素問』蔵気法時論篇に、「脾秒者.身重.善瘛.脚下痛.虚則腹満腸鳴.飱泄食不化.」と記された、下痢である「飱泄」も、水の運搬の異常として認識したものです。

蔵象学説における「脾」とは

『素問』霊蘭秘典論篇の「脾胃者.倉稟之官.五味出焉.」は、食料の倉庫として認識
したものであり、この記述を以て、「脾」の機能を医学的な消化吸収まで拡張して捉えるべきではありません。経脈別論に記された「脾」の機能は、食物中の水分の運搬のみです。これは、血管を介した構造的関係性からの発想に過ぎないものです。『黄帝内経』当時には消化吸収の正しい知識は存在していません。現代医学の知識が先入観となり、古代の記述を誤って解釈して「脾」には消化吸収機能もあると思いこむことで、消化酵素を分泌する膵臓の機能も含めた複合的な概念であると過大解釈しているのです。そもそも、中国においては、西洋医学が導入されるまで膵臓の存在そのものが知られてはおらず、まして、膵臓が消化酵素を分泌することなど知る由もなかったのです。尚、「膵」の文字は、宇田川玄真の「医範提綱」(1805年)によって初めて記された日本製の文字です。

この「脾」の誇張された機能が、中医学における臓腑を、医学的な臓器機能を超越した複数の臓器機能を包含した概念であるとする誤謬を生み出す契機となっていることは重要です。中医学が暗黙の内に盲信している『黄帝内経』の誤謬性のほぼ全てが、同様の過大解釈によるものです。二千年以上もの昔の人間による、素朴な自然観と思想を基にした診療理論を未だに、信じ続けることの愚かさを認識すべきです。

現在でも尚、中医学を診療理論としている人たちを批判覚悟で例えるならば、今でも看護師によって信奉されているナイチンゲールの存在が思い浮かびます。ナイチンゲールは看護論の創始者で、彼女が行った衛生面での改革によって傷ついた兵士の死亡率が大幅に改善されました。しかし、それは結果的なことであり、背景となった理論は、彼女の時代より2000年も昔のヒポクラテスの医学でした。彼女は、ヒポクラテスの熱心な信奉者であり、「瘴気論」の推進論者でした。「瘴気miasmaミアズマ」とは、疫病の原因のことで、病人や土地から放出されて空気中(この時代では物質としての空気は未だ認識していない)に存在する有害な物であると考えられていました。彼女は、この環境中の悪い空気を追い出そうとして、病室の換気や採光を心がけたことで兵士の感染症が激減し、結果的に死亡率が減少したのです。その行為は結果的には良かったのですが、科学的な根拠は全くの誤りであり、理論的には稚拙な古代の思想のままでした。中医学を信奉する人たちの意識も全く同様であると、私には思われます(時代的にも)。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


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