「重複性神経障害の概念を捨てよ」は妥当か [鍼治療を考える]

重複性神経障害(Double crush syndrome;DCS, Double crush hypothesis;DCH, double lesion neuropathy)はUptonとMaconas(1973)が提唱した概念(1)。

手根管症候群の患者には肘部管症候群との合併例が少なからず存在し、さらに、これらの患者では高率に頚椎症性神経根症(CSR)の合併が認められるとして、神経への圧迫はその末梢においても圧迫に対する易損性を生じさせるとし、その原因を軸索流の障害と考えている。

軽微な圧迫によってsubclinical neuropathyに陥っている神経幹は、圧迫部位の末梢における新たな圧迫に対して易損性であることは実験的にも証明されている(例えば、根本1983, )(2)。

私も、臨床においてDCSと思われる症例を頻繁に見かけることから、拙著「絞扼性神経障害の鍼治療」の中でその視点の重要性を指摘している。

しかし、Johnson(1997)は“Double crush syndrome”を欺瞞と断じ、「訓練の不十分な筋電図医が用いる前代の遺物であるとして、この概念を捨てろ」と述べている(3)。UptonとMaconasの報告には、CSRの診断における確実性などに問題点もあるが、Wilboun & Gilliatt(1997)らの批判の中でも本質的と言える指摘(4)について紹介し、それに対する私の細やかな反論を述べたい(以前に、後述したいと記していたので)。

決定的と思われる批判の第1点は、CSRの障害は神経根であることから圧迫部位は後根神経節の近位となるため、Waller変性や軸索流の障害は近位側に向かって進展する。したがって、遠位側に軸索障害が起こることはなく、C7由来の感覚神経成分に異常が生じて手根管症候群が合併することはあり得ないとする批判である。第2点として、園生の意見(5)では、手首の正中神経成分は腕神経叢において上中下神経幹外側内側神経束とさまざまに分かれて存在するので、それらの全てを障害する必要がある。また、電気生理学的異常を伴わない程度の障害で、遠位に脆弱性が生ずることは考えにくいとも述べている。何れも、一見完璧な否定的意見ではあるが、はたしてそうだろうか。

長くなるので、本稿では第1点の問題について考えたい。

犬の腰椎神経根の実験で、異なる圧力を持つ4種類のクリップを使用して圧迫し、脊髄背側後角, 神経根, 後根神経節における P 物質(SP)および ソマトスタチン(SOM)を免疫組織化学的手法によって検出し、神経根圧迫後の軸索流の変化を調査した研究報告がある(6)。

その結果、圧迫後24時間で神経根の軸索流が損なわれ、圧迫部位の遠位に SP と SOM の蓄積が認められた。また同時に、後根神経節の細胞数の減少も認められた。さらに、1週間の圧迫によって、脊髄背側後角の SP とSOM 陽性線維の数が減少した。この実験では、後根神経節より遠位の末梢神経への影響までは調査されていない。しかし、神経根への圧迫の影響が後根神経節や脊髄までおよぶことが明らかとなり、さらに、その影響として、何らかの障害が末梢へもおよぶ可能性もあり得るはずである。

同様の報告として、雑種犬の腰椎神経根に、クリップを使用して7.5 gf の圧力で24時間、1週間、および3週間圧迫した実験もある。

軸索反応に続発した後根神経節における一次感覚ニューロンの形態変化を光学顕微鏡と電子顕微鏡によって調べ、サブスタンスP (SP)、カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)、ソマトスタチン (SOM) の変化を免疫染色にて検討している。光学顕微鏡では、圧迫開始から1週間後に後根神経節細胞に色素融解(chromatolysis)を生じ、形態学的変化を認めた(同様の実験報告は他にも多数有り)。影響を受けたニューロンの電子顕微鏡観察では、細胞核の中央部から周囲への動きと、rough endo-plasmic胞体とミトコンドリアの喪失が明らかになった。免疫組織化学的研究では、中枢の小神経節細胞においてSP、CGRP、SOMが著しく減少した。結論として、神経根圧迫の患者では、機能不全は圧迫サイトの変性に限定されていないことを認識することが重要だと記されている(7)。

神経根への圧迫の影響が、順行性の軸索流の方向だけではなく、その反対側の後根神経節にまでおよぶのであり、さらに、その末梢へも影響する可能性を考慮する必要がある。

剖検による所見によって、subclinicalな状態ですでに絞輪間部分の部分的先細りを伴う随鞘の球状変化という形態学的異常が以前より報告されている。最近の知見では、随鞘形成細胞はミトコンドリアの機能維持を含めた軸索の代謝を補助しており、軸索の発達と生存に必須である。同時に、軸索のシグナルは髄鞘形成細胞、シュワン細胞の分裂、分化、髄鞘の形成と維持に関与している。また、絞輪間部分にその大部分が存在するミトコンドリアは軸索におけるATPの供給源であることから、エネルギー依存性である軸索輸送の維持に重要である(8.9.)。

軸索流(Axoplasmic flow)には、細胞体から神経末端方向への順行性輸送(Anterograde transport) と神経末端から細胞体方向への逆行性輸送(Retrograde transport)があり、軸索内を様々な物質が両方向へ同時に輸送されている。軸索輸送とは、水道管の中を一方向に水が流れるような単純なものではない。

細胞体から神経末端への速い順行性輸送(200-400mm/日)はキネシン(Kinesin)というモーター蛋白が、ミトコンドリア、シナプス小胞、神経伝達物質、酵素等を輸送している。一方、神経末端から細胞体へ向かう速い逆行性輸送(50-100mm/日)は、ダイニン(Dynein)というモーター蛋白が、再利用する蛋白やシナプス小胞、成長因子や代謝物質などを輸送している。遅い軸索輸送では、細胞体から神経末端へニューロフィラメントなどを運ぶ流れ(0.1-2.5mm/日)と、アクチンやカルモジュリンなどを運ぶ(2-6mm/日)ものがある。さらに、未だ未知のモーター分子も存在している。

軸索内では、ナノスケールの微小管のレールの上を、これらのモーター分子が歩くようにして運んでいるのである。この分子の移動速度は、分子を人の大きさにすると秒速100mにも達し、その移動距離は1mの軸索では10万Kmにも相当する、途方も内ない作業なのである。

さらに複雑なのは、微小管の線維は150~500ミクロンの長さしかなく、軸索の端から端までつながってはいない。モーター蛋白は、この互い違いに並んだ線維に荷物を積んだまま見事に乗り換えながら高速で走っているのである。この蛋白には2本足のものと1本足のものがあるが、1本足の場合の移動方法は定かになっていない。

機械的圧迫による神経根内の血流と神経線維の変形が、腰椎椎間板ヘルニアや腰部脊柱管狭窄症などの根症状の病態に関与すると考えられている。しかし、神経根圧迫に伴う軸索流の変化の研究は極めて少なく、確かなことは言えないのが現実である。私には、Wilboun & Gilliattらや園生の批判は単純過ぎるように思われる。また、何が何でも、症候の原因を単一病変に求めようとするのは少々傲慢に思える。私は常に、患者の訴える症状の原因は単一ではなく、複数の病態が合併していることを念頭に置いて診察を行うよう心がけている。

頚椎症性神経根症(CSR)の診断について、念のため一言付け加えると。神経根の圧迫が、それのみで痛みを発現しないことは周知の事実。症状の発現には、神経伝達物質や様々な炎症性サイトカインなどの化学的因子が関与する。また同時に、末梢神経の損傷や慢性的圧迫が後根神経節の急性圧迫と同様の反応を惹起することも指摘されている。

画像上、加齢とともにヘルニアの存在や神経根の圧痕形成の頻度は増加するが、有病率は逆に減少する。形態学的変化をそのまま病態として決めつけ、症状発現の原因と判断することが短絡的であることを示唆している(これまでにも、本ブログで繰り返し述べている)。

出版書籍のお知らせ

書籍名 : 絞扼性神経障害の鍼治療
著者名 : 小川義裕
発行所 : 虎の門針灸院
出版日 : 2015年3月22日初版
サイズ : B5版, 188ページ, 図34枚
ISBN 978-4-9908155-2-3
C3047 ¥ 8500 E

市販はしておりませんが、個人的に販売しております。
購入方法は、カテゴリーの「出版のお知らせ」をご覧ください。

引用文献
1.
Upton AR. McComas AJ, The double crush in nerve entrapment syndromes, Lancet 2:359-362,1973.

2.
根元孝一, 末梢神経障害に関する実験的研究, 日本整外会誌, ;57:1773-1786,1997.

3.
Johnson EW, Double crush syndrome . A definnition in search of a cause , Am J Phys Med Rehabil, 76:439, 1997.

4.
Levin KH, Wilbourn AJ, Magginano HJ, Cervical rib and median sternotomy -related brachial plexopathies : a reassessment , Neurology,50:1407-1413,1998.

5.
園生雅弘上肢のいわゆる「ダブルクラッシュ症候群」についての電気生理学的・臨床的考察, 脊椎脊髄ジャーナル, vol.25no.12, 1129-1137, 2012.

6.
Effect of lumbar nerve root compression on primary sensory neurons and their central branches: changes in the nociceptive neuropeptides substance P and somatostatin, Kobayashi S1, Kokubo Y, Uchida K, Yayama T, Takeno K, et.al., Spine (Phila Pa 1976). 2005 Feb 1;30(3):276-82.

7.
Pathology of lumbar nerve root compression. Part 2: morphological and immunohistochemical changes of dorsal root ganglion, Kobayashi S1, Yoshizawa H, Yamada S.
J Orthop Res. 2004 Jan;22(1):180-8.

8.
Nave KA.,Myelination and support of axnal integrity by glia, nature,468; 244-252,2010.

9.
大野信彦, 軸索と髄鞘の相互作用の分子メカニズム, 山梨医科学誌, 20(1);19-31,2014.


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