黄帝内経における六腑の本質 [鍼灸常識の問題点]

黄帝内経における「六腑」の本質について、私が解読したものを、拙著、「中医学の誤謬と詭弁」より抜き書きして紹介します。尚、三焦については、以前の記事と一部重複しています。

六腑(胆・三焦・胃・小腸・大腸・膀胱)
 
 腑とは中空の臓器のことであるが、三焦は医学的な臓器とは違い、一般的には実体はないと言われている。しかしながら、筆者は網嚢を含む腹膜腔全体を意味するものと考えている。六腑については、病症の記述が極めて少ないが、これは、肉眼的な解剖観察では異常を発見できなかったことによるものと推測される。痛みなどの病症は、疼痛の部位感から想像したものである。大腸の病症は下痢や血便、膀胱では血尿のように、尿に現れる異常などを、それぞれの臓腑の病症として判断している。いずれも、臓腑の異常として直接的に認識し易い病症が中心となっている。以下に、六腑について検証する。



『黄帝内経』においては、胆嚢の機能を示す記述は存在しないことから、その機能は全く理解できなかったものと考えられる。しかし、現代の中医学書では、「胆汁の貯蔵と排泄」などと記されている。これは現代医学を都合良く借用したものに過ぎず、全くの詭弁である。『黄帝内経』における記述では、「胆」の機能は「決断を主る」のみである。生理学的には全く無意味であるので解説は省略し、病症のみ解読する。

『素問』気厥論篇 第37
「胃移熱於胆、亦曰食亦。」
訳:「胃熱を胆に移せば、また食亦という。」
 胃が熱を胆に移せば、良く食べるが痩せてしまう(食亦)。
疾患名は不明である。

『霊枢』邪気蔵腑病形篇 第4
 「胆病者、善太息、口苦、嘔宿汁、心下澹澹、恐人将捕之、益中吤吤然、数唾。」
訳:「胆病者、よく太息し、口苦く、宿汁を吐き、心窩部が澹澹として、人将に捕らえられんとするを恐れ、益中吤吤然として、しばしば唾する。」
 胆病は、良く嘆き、口が苦く、苦い汁を吐き、動悸がして、人に捕らえられると恐れ、喉がつまっているようで、しばしば唾が出る。
 疾患名は不明である。
 以上、如何なる疾病を意味するのか、全く不明である。

三焦

 三焦の機能と病理観を解明する前に、三焦についての筆者の仮説を述べる。従来、三焦には臓器としての実体は無く、上焦、中焦、下焦の三領域を総称したもので、胸腹腔全域を意味するものと言われている。医学的に見ても、三焦に相当する臓器が存在しないことは事実である。しかしながら、『素問』霊蘭秘典論の「三焦者、結涜之官、水道出焉。」、六節蔵象論の「小腸三焦膀胱者倉廩之本」との記述から、一個の形有る臓器として認識していることは明らかである。『黄帝内経』の実証的精神を考慮すると、医学的な臓器とは異なるものの、何らかの構造を有するものを臓腑として捉えたと判断することが妥当である。

では、如何なる構造を臓腑として認識したのであろうか。筆者は『霊枢:営衛生会篇』の記述より、網嚢を含む腹膜腔全体を1つの臓器として捉え、三焦と呼んだものと推測した。三焦が何かを解明する上で、重要な記述は『霊枢』営衛生会篇中に見られるが、三焦の構造を示す記述がないことが論争を招いた原因と言える。恐らく、腹膜の構造が複雑であることから、その全容を正確に認識して記述することが困難であったことと、構造自体は重要視されなかったことも要因として考えられる。

その記述は、黄帝が三焦からの気の出方を、上焦、中焦、下焦に分けて質問する形式となっている。すなわち、三焦の機能が作用する、その方向に注目し、上、中、下に分けて記したものである。筆者は、上焦を胸腔とする一般説は誤りであると考えている。因みに、『針灸大成』の校釈本には、「三焦、為六腑之一、是月庄之囲最大之腑、」と、三焦は腹を囲む最大の腑であると記されており、これは明らかに腹膜を記述したものと判断できる。しかし、明の時代の文献であることや、『黄帝内経』には見られない記述であるため、この認識のルーツは不明である。 

一方、経絡における三焦経は、『黄帝内経』の起源である『馬王堆漢墓帛書』の中の「陰陽十一脈灸経」では「耳脈」と記されており、耳までの分布である。また、「足臂十一脈灸経」では「臂少陽温」と記され、同様に耳までの分布である。この経脈の主治症も、難聴、目や頬の痛み、歯痛など、顔面の症状のみが記されており、三焦経を腹膜腔まで関連づけた理由は不明である。

経絡の構造に関する筆者の仮説(後述)では、手の太陽小腸経、足の少陽胆経、および手の陽明大腸経は、いずれも、腹腔内の流注は交感神経であり、足の陽明胃経も迷走神経と交感神経の混合したものと想定している。足の太陽膀胱経を除く、陽経の腹腔内の全ての走行が交感神経である。この仮説が正しいと仮定すると、これらの経絡と経絡に冠された臓器名に機能的な関係性があるとは考えにくい。

『霊枢』営衛生会篇における三焦についての記述は、黄帝が三焦の出所を問うものである。この質問に先立ち、「黄帝曰、願聞営衛之所行、皆何道従来。岐伯答曰、営出干中焦、衛出干上焦、」と営衛について聞いている。岐伯は、上焦からは衛、中焦からは営が出ると答えている。『黄帝内経』には、明確に神経を示した記述は存在しないが、筆者は「衛」は神経であり、衛気とは神経の機能を想像して呼んだものであると推測している(後述)。また、営気とは血液中に存在する何らかの作用である。以下に、三焦に関する原文の抜粋と訳を示して筆者の仮説を述べる。

上焦:

「上焦出干胃上口、並咽以上、貫膈而布胸中、走腋、循太陰之分而行、還至陽
明、上至舌、下足陽明、」
訳:「上焦は胃の上口より出で、咽に並び以て上る、隔を貫き胸中に布く、腋に走り、
太陰の分を循り(巡り)行く、陽明に至りて還り(戻り)、舌に上り、足の陽明を下る。」 

上焦とは、三焦すなわち腹膜腔の内部で、胃に分布する迷走神経を起点としている。迷走神経を、胃の上部より食道(咽喉ではなく)に沿って上り、隔膜を貫いて胸中に上る。迷走神経肺枝と交感神経の肺枝との交通から、中および下頚神経節の心臓神経叢、肺神経叢によって胸中に分布する。第5~7頚神経との交通から腕神経叢を腋窩動脈(手の太陰肺経)に沿って進み、橈骨神経(手の陽明大腸経)を戻り、上頚神経節から三叉神経節へと進み、足の陽明胃経へと交通して下る(経絡構造の詳細は後述)。

中焦:

「中焦亦並胃中、出上焦之後。此所受気者、泌糟粕、蒸津液、化其精微、上注干肺脈、乃化而為血、」
訳:「中焦もまた胃中に並び、上焦の後ろに出る。此の気を受ける者は、糟粕を分泌し、津液を蒸し、其の精微を化し、上って肺脈に注ぐ、乃ち化して血となす。」

 中焦は網嚢前庭および網嚢峡部に位置し、腹腔動脈を起点にして、食物中の栄養素(精微;但し、物質としての栄養素の認識はない)の肺への運搬法を想像したものである。また、肺にいって血に変化するとは死体では、動脈は収縮して虚血状態であるため、何らかの力が流れるものと想像し、肺静脈に至って、内部に血液を確認できたことを示したものである。 

下焦:

「下焦者、別廻腸、注干膀胱而滲入焉。故水穀者、常并居干胃中、成糟粕而倶下干大腸、而成下焦。滲而倶下、済泌別汁、循下焦而滲入膀胱焉。」
訳:「下焦は廻腸を別れ、膀胱に注ぎ滲み入る.故に水穀者は、常に胃中に并居し、糟粕を成して供に大腸に下る、而して下焦は破成す、滲みて倶に下る、済泌して汁を分け、下焦を巡り膀胱へ滲入る。」 

下焦とは、腹膜腔の最下部であり、腹膜の膀胱直腸窩すなわち腹膜反転部を意味する。回腸と別れとは、腹膜反転部までは、直腸は前面と側面が腹膜に覆われているが、此処で腹膜を出ることを認識していたものと考えられる。腹水の観察から認識した、腹膜腔内のリンパは胃を起点にして下り、やがて腹膜を透して膀胱内にしみ出て尿になると想像している(経脈別論で解説)。

中医学書に記された三焦の機能と病理観

機能
・水液運行
・開発を主る
・肌肉を温める
・精微を血と化す 
・肌肉を温める

・水液運行
 『素問』霊蘭秘典論篇 第8:
 「三焦者、決瀆之官、水道出焉。」
 訳:「三焦者、決瀆の官、水道焉より出ず。」
 三焦は水道の官であり、此処より水道が出る。前述したように、腹膜腔内のリンパを指した記述である。中医学書の解説に見る、「全身の水の道を主宰する」は、『霊枢』営衛生会篇の記述内容を逸脱した解釈である。

・開発を主る
 『霊枢』決気篇 第30:
 「上焦開発、宣五穀味、熏膚、充身、沢毛、若霧露之漑、是謂気。」
 訳:「上焦開発し、五穀の味をしき、膚を燻し、身を充たし、毛をうるおし.霧露がそそぐ如く、是を気と言う。」
 上焦から散布され、食物の味を成して全身を潤すものを気と言う。筆者の仮説では、上焦とは、胸腔および腹腔内の神経叢の機能を想像したものである。

・肌肉を温める
 『素問』調経論 第62:
 「陽受気於上焦、以温皮膚分肉之間。」
 訳:「陽は気を上焦に受け、以て皮膚分肉の間を温む。」
 陽(陰陽思想)は上焦の気を受けて体を温める。これも、神経の生理的機能を想像したものである。

『霊枢』癰疽篇 第81:
「上焦出気、以温分肉、而養骨節、通腠理。」
 訳:「上焦気を出し、以て分肉を温め、而して骨節を養い、腠理を通ず。」
 摂取した食物から、胃の周囲に分布する神経によって、体を温める作用をもたらす気(何らかの力・作用)が生じると考えたものであり、肉の間を温め、骨節を養う。皮膚と肉の間を通すとは、末梢への神経の走行を表現したものである。前述したように、筆者は、衛気の「衛」は神経であると提唱している。

・精微を血と化す 
 『霊枢』癰疽篇 第81:
 「中焦出気如露、上注谿谷、而滲孫脈、津液和調、変化而赤為血。」
 訳:中焦の気を出すや露の如く、上より谿谷に注ぎ、而して孫脈に滲み、津液調和すれば、変化して赤く血となる。」
 中焦の気とは、動脈中の何らかの物質や作用を想像したものであり、腹腔動脈を起点にして、食物の栄養(精微;但し、物質としての栄養素の認識はない)が全身に行き渡ると考えている。孫脈にて赤くなるとは、末梢にて、動脈と静脈が連なることを認識し、静脈に至って初めて血液が見えることを示したものである。すなわち、死体では、動脈は虚血状態であるため何も見えないが、血液とは違う何らかの物質的要素やエネルギー的なものが流れていると想像したものである。この考えは、同時代の西洋における動脈の認識と共通するものである。
 
病態

・閉癃、遺尿

 『霊枢』本輸篇 第2:
 「入絡膀胱、約下焦。実則閉癃、虚則遺尿。」
 訳:「入りて膀胱に絡し、下焦に収束す。実すれば則ち閉癃し、虚すれば則ち遺尿す。」
これは三焦経の分布を説明する記述である。腹膜腔である三焦の最下部から腹膜を透して、尿は膀胱内へ入ると想像しているため、三焦経の変調によって尿閉や遺尿が生じると考えている。

三焦の総括

 三焦の機能をまとめると。摂取した食物中の栄養を胃に分布する神経である上焦と、動脈である中焦を起点にして全身に運搬し、腹膜腔内のリンパは、食物中の水分を起源として胃からしみ出て下降し、下焦にて再び腹膜腔を出て膀胱に溜まり尿が産生されると想像したものである。
 三焦の焦とは、焦がすことである。恐らく、火食の民である中国人にとっては、胃からの吸収も加熱して食べることと同様に捉え、食物は加熱薫蒸されて栄養素が上方の肺へ向かうものと想像し、排泄物である残り糟としての尿は、腹膜腔から浸透して膀胱へ下ると考えたと推測される。体内の生理現象も、身近な事象に置き換えて想像する以外には不可能な時代であり、本質的には素朴な発想である。古典の解釈において、古代の記述をそのまま現代医学に置き換えるような、先入観に基づく過剰な評価は慎むべきである。



 胃は食物が最初に納まる臓器であり、この食物中の栄養素(医学的に言えば)が変化して別れ、周囲に分布する血管や神経によって全身へ運ばれると想像している。『黄帝内経』では、胃を消化吸収の起点と位置づけ、食物中の栄養素を、動脈中を行く(中焦)何らかの物質的なものと、神経によって伝えられる(上焦)力・作用に分けて考えている。このように、営衛生会篇では、胃の機能は貯蔵と食物を変化させることにあると考え、栄養素の吸収と運搬は周辺に分布する血管や神経の機能として認識している。

機能
・水谷の受納
・五臓を潤す
・味を転化する

・水谷の受納
 『素問』五蔵別論 第11:
 「胃者、水穀之海、六府之大源也。五味入口、蔵於胃、以養五蔵気。」
 訳:「胃なる者、水穀の海、六府の大源なり、五味口より入りて、胃に蔵し、以て五蔵の気を養う。」
 胃は飲食物の海であり、六腑の源である。5種の味覚すなわち、(医学的に言えば)栄養素が胃に溜まり、五臓の気を養う。しかし、前述したように、胃の機能は、吸収運搬の起点としての位置付けである。 

・五臓を潤す
『霊枢』五味篇 第56:
「胃者、五蔵六府之海也。水穀皆入于胃、五蔵六府皆稟気于胃。五味各走其所喜。」
訳:「胃者、五臓六腑の海なり、水穀皆胃に入り、五臓六腑皆気を胃にうく。五味各々喜ぶ所に走る。」
胃は五臓六腑の海であり、飲食物は胃に入る。五臓六腑は皆気を胃より受ける。五味(栄養素的なものを想像)、すなわち、各要素はそれぞれ五行配当による分類に従って臓腑へ行くと考えている。栄養素としての要素は、この5種類のみであり、医学的な栄養成分とは全く異なることに留意する必要がある。

・味を転化
  『素問』霊蘭秘典論篇 第8:
  「脾胃者、倉稟之官、五味出焉。」
  訳:「脾胃者、倉稟の官、五味焉より出ず。」
  脾胃は倉庫の官で、食物中の栄養素を分けて分配する(前述)。

『素問』六節蔵象論篇 第9:
「脾胃大腸小腸三焦膀胱者、倉稟之本、営之居也。名曰器。能化糟粕、転味而入出者也。」
訳:「脾、胃、大腸、小腸、三焦、膀胱者、倉稟の本、営の居なり。よく糟粕を化し、味を転じて入出するなり。」

上記2篇の内容は同様であり、倉庫としての臓器であることが記されている。その意味は前述した通りである。医学的に言えば栄養素である五味を、その味の違いから五行に配当して機能を分類する考えである。生薬の効果を推測する手段としても、その味による分類が行われている。

病態
 ・胃脘隔
 ・食亦・消谷
 ・月真脹・脹満・腹脹
 ・胃脘廱

・胃脘隔
 『素問』評熱病論篇 第33:
 「食不下者、胃脘隔也。身重難以行者、胃脈在足也。」
 訳:「食の下らざる者、胃脘隔なり。身重く以て行き難き者、胃脈足に在ればなり。」
 食べ物が下らない症状の原因を胃の異常として認識しているが、何を根拠に食物が下へ通過しないと判断しているのかは不明である。また、同時に、身体が重く動きがたい症状が記されているが、疾患名は不明である。

・食亦・消穀
 『素問』気厥論篇 第37:
 「大腸移熱於胃、善食而痩。又謂之食亦。」
 訳:「大腸熱を胃に移せば、良く食しても痩せる。これを食亦という。」
  「大腸の熱」とは何か、その熱が胃に移るとはどのようなことか、また疾患名も不明である。

『霊枢』師伝篇 第29:
「胃中熱、則消穀、令人懸心善飢、臍以上皮熱。」
訳:「胃中熱きは、則ち穀を消し、人懸心して良く飢え.臍より上の皮熱す。」
胃の中に熱があると、消化が促進されて、空腹感が起き、臍の上が熱くなると、記されているが、意味不明である。

・脹満・腹脹

・脹満
  『素問』標本病伝論篇 第65:
  「胃病脹満、」
  訳:「胃病は脹満し」
   膨満感を胃の病としている。但し、この病はその後伝変し、腰脊痛が見られ、やがて尿閉となり死亡すると記されている。この経過は、脾、腎、および膀胱病でもほぼ同様である。何れも、尿閉をきたして死亡に至る同一の疾患と考えられるが、特定は困難である。

・腹脹
 『霊枢』師伝篇 第29:
 「胃中寒、則腹腸。」
 訳:「胃中寒、則ち腹はる。」
 胃が冷えると、腹が張る。腹が張ることの原因を胃が冷えるためとしている。

・胃脘廱
『素問』病能論篇 第46:
「則熱聚於胃口而不行。故胃脘為廱也。」
訳:「則ち熱胃口に聚りて行かず、故に胃脘廱をなすなり。」
熱が集まって、胃の内部(噴門部)に廱ができると述べている。「廱」は本来、毛嚢とその付属器にできる膿瘍であり、「癤」が集合したものである。この記述が、胃癌を意味するのかは不明であるが、噴門部の癌であれば、食物の通過障害や胸焼け感が生じるため、この記述に近い症状となる。恐らく、胃を解剖した際に、噴門部に腫瘍を発見し、その原因を胃の熱と考えたと推測される。

胃の総括
胃が消化吸収の起点となる臓器であることは、医学が未発達な時代においても想像できたと考えられる。但し、医学的な消化吸収と混同しないことが重要である。現代においても、一般の人では、上腹部の不快感や痛みを胃の症状として認識することが多く、古代中国と大差はないであろう。「胃脘隔」のように、何らかの原因による嚥下困難も胃の病症と考えている。また、「胃脘廱」は、解剖によって胃癌を発見していた可能性が考えられる。このように推測すると、胃癌で死亡した患者の、生前に見られた数少ない初期の症状としての、胸焼け感を適格に観察していた可能性がある。

大腸

『黄帝内経』における、大腸に関する記述は極めて少ない。その機能は、食物を大便へと変化させて運ぶことであり、病症は腹痛と下痢のみである。

機能
・食物の伝道、変化

『素問』霊蘭秘典論篇 第8:
「大腸者、伝道之官、変化出焉。」
訳:「大腸者、伝道の官、変化ここより出ず。」
 食物を運び、大便へと変化させる。

病態
・腸痛
・腸鳴飱泄

・腸痛
『霊枢』邪気蔵府病形篇 第4:
「大腸病者.腸中切痛而鳴濯濯.冬日重感于寒即泄.当臍而痛.不能久立.」
訳:「大腸病の者.腸の中が切痛し濯濯たり.冬日重ねて寒に感ずれば即ち泄し.臍に当たりて痛み.久しく立つことあたわず.」
 大腸の病は疝痛してゴロゴロと腹鳴する。さらに冬に続けて寒さを感じれば、臍の周囲が痛み長く立っていられなくなる。

・腸鳴飱泄
『霊枢』師伝篇 第29:
 「腸中熱.則出黄如糜. 腸中寒.則腸鳴飱泄.」
 訳:「腸中熱きは.則ち黄を出すこと糜の如く.」
  腸中に熱があると、黄色い粥状の便が出る。腸中に寒があると、腹が鳴り下痢をする。

大腸の総括  
疼痛や腹鳴の部位感、および下痢を大腸の病症として認識している。しかし、何れも、疾患名を特定することは困難である。下腹部の痛みを大腸の病症として捉えた、疼痛の部位感による認識である。機能的には、大便へと変化することは観察しているが、水分を吸収することは認識してはいない。中医学書による、「汁を分け糟粕に変化させる」との記述は創作である。また、大腸の病症としての血便の記述は、『中蔵経』や『千金要方』には見られるが、『黄帝内経』には記されてはいないため、認識していたかは不明である。

小腸

 小腸に関しては、食物の運搬のみである。小腸の消化吸収機能は全く認識してはいない。

機能
・受盛の官、化物
・水道を通ず
・受盛の官、化物
『素問』霊蘭秘典論篇 第8:
 「小腸者、受盛之官、化物出焉。」
 訳:「小腸者、受盛の官、化物ここより出る。」
  消化された後の、食物の通り道としの認識である。

・水道を通ず
 『黄帝内経』には、小腸を水道とする記述は存在しない。

小腸の総括
 小腸の重要な機能である、消化吸収は全く認識できてはいない。食物が、胃を出る際に細かくなり、小腸を通過する様子から、単に運搬する臓器として認識したものである。小腸に関する病症は、『黄帝内経』には記されていない。

膀胱

 膀胱に尿が溜まり、ここから排出されることは、当時でも簡単に認識できたであろう。この観察から、尿の性状や排出に関わる異常を全て、膀胱の病症として認識したものと考えられる。

機能
・津液を蔵し、小便を出す

『素問』霊蘭秘典論篇 第8:
 「膀胱者、州都之官、津液蔵焉。気化則能出矣。」
 訳:「膀胱者、州都の官、津液をここに蔵する。気化すれば則ちよく出る。」
 膀胱は水が集まる器官であり、水液(尿)を蔵し、気によって変化することで尿が良く出ると記されているが、この気化とは、排尿のしくみ、医学的に言えば神経機序を想像したものか、具体的な意味は不明である。

病態
・癃閉、尿血
・遺尿
・小便渋、小便頻数(『中蔵経』による)
・小便閉
・膀胱実熱(『千金要方』による)

・癃閉、尿血
 『素問』気厥論篇 第37:
 「胞移熱於膀胱、則癃尿血。」
 訳:「胞熱を膀胱に移せば、則ち癃たりて尿血す。」
 胞が膀胱に熱を伝えれば排尿困難となり、血尿となる。
胞の意味は不明であるが、排尿困難や血尿を膀胱の病症として捉えている。

・遺尿
 『素問』宣明五気篇 第23:
 「膀胱不利為癃、不約為遺尿。」
  訳:「膀胱利せざれば癃をなし、約せざれば遺尿をなす。」
  膀胱が機能しなければ排尿困難となり、制御できなければ失禁する。何れも、尿に関わる病症を膀胱の機能異常によるものと認識している。

・小便閉
 『素問』標本病伝論篇 第65:
 「膀胱病、小便閉、五日少腹脹、腰脊痛、骨行痠。」
 訳:「膀胱病、小便閉じ、五日に下腹部が脹し、腰脊痛み、骨行痠す。」
 膀胱の病は、小便が出ず、下腹部が張って腰脊が痛み、下腿がだるくなる。この疾患は、治らなければ3日後に死亡すると記されていることから、膀胱の疾患ではなく、急性腎不全や心不全などが考えられるが、特定は困難である。

膀胱の総括

 尿が腎臓によって生成されることを認識できていないため、尿に関わる異常を全て、膀胱の病症として捉えている。

追伸
この記事の内容は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」に記されています。本書は市販はしておりませんが、希望される方には個人的に販売しております。詳しくは、カテゴリーの「出版のお知らせ」をご覧ください。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0