「経絡」の誤解 (3 神経・血管と経絡不一致説の盲点) [鍼灸常識の問題点]

 身体の一部を刺激した際に、「経絡」上の体表に現れる変化や、「経絡」に沿って伝わる感覚は確かに存在します。恐らく古代中国の人々も同様の経験をして、そのメカニズムを解剖によって確かめようとしたものと推測できます。当然、紐上あるいは管状の器官である神経や血管を発見し、その機能を想像し、その構造を感覚の伝わった方向に辿り、やがて上・下肢と胸腹部内臓、頭部を関連付け全身に及ぶ体系を考え出したと推測できます。 逆に、身体を縦横に繋ぐ感覚の伝搬に合う構造・器官で、肉眼で観察可能なものは神経・血管以外にはあり得ません。これが、私が「経絡」は神経・血管によって証明できると確信した、その原点です。

 では、何故通説では神経・血管と「経絡」は一致しないと決めつけているのでしょうか。私は、従来の説には大きな盲点、誤謬があると考えています。

 誤謬、盲点

 1.2千年以上昔の、未だ医学が無かった時代の人間の素朴な解剖観察レベルと、思想・自然観による理論構成を考慮していない。具体的には、神経や血管を現代医学の系統解剖学の視点で見てしまう。つまり、「経脈篇」による神経・血管の構成法は、見た目の連続性によるもので、系統解剖学的・生理学的機能を踏まえた方向性は全くない。

 2.原典である「霊枢:経脈篇」における経絡の走行(流注)の記述を検証せず、500年以上後の時代に形成された「経絡図」を基に議論している。具体的に言えば、簡略化され体表に投影して示した、例えて言うならば、「経穴脈図」としての「経絡」を解明作業の対象としてきた。この「経絡と経絡図」は、臨床上の利便性から作成されているため一定の利用価値はあるものの、本来原典が意味したものとは大きく異なってしまった。

 3.経脈篇に記された構造としての「経絡」と、臨床的に経験される、所謂「経絡現象」を直接結びつけ同時に解明しようとした。経絡現象や臨床的な効果のメカニズムは神経機能など多くの未解明な要素があり、恰も影絵を眺めている様に、実体は錯綜している。経脈篇の記述は具体的であり、先ず、原典の概念を構造から解明する必要がある。

 4.「経脈篇」の記述は具体的で、観察の姿位、方向性、使用単語など一貫しているにもかかわらず、これを無視して勝手な意釈によって省略、変更している。具体的には、上肢から頚部、頭蓋内や胸腔内あるいは、下肢から下腹部内に入る記述を無視して体表や頭部表面を走行させてしっまている。この過ちにより、胸部、腹部体表浅部を縦に走行する神経・血管はほとんど存在しないため結ぶことができず、神経・血管ではないなどと結論してしまっている。(これが誤謬の最大原因です。)
 
 一般の鍼灸書に書かれた「経絡図」では、胸部、腹部前面に縦に何本かの線が引かれ、途中に経穴(ツボ)が示されています。しかし、「黄帝内経素問・霊枢」には基本的にはこの領域には経穴は存在していません(一部、浅表部の神経・血管領域の支脈部には存在)。この様に、体深部を走行する領域には経穴が存在しないと予想し、私が原点中に記された経穴について全て調査した結果(2~3の経穴の所在部位の解釈錯誤によると判断したものを含み)、100%一致しています。

 経絡の流注の全文とその解釈、説明はかなりの長文になることと、「経絡」解釈の一般常識と私の説が違い過ぎるため理解されないと考え、先ず、一般説が間違いであるとする根拠から説明しました。「経絡」そのものを知らない人には、何を言っているのかさっぱり分からないこととは思いますが。

 「経絡」とは、「正経十二経脈」、「19絡脈(教科書的には15)」、「奇経8脈」を総称したものであることは「経絡の誤解1」で述べましたが、各々の名称や特徴と「経脈篇」の記述と訳、その解釈、さらに内臓と経絡を関連づけた動機、思考について少しずつ書きたいと考えています。

追伸
本記事に記されている経絡構造の全容については、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」に記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。

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