“気”とは (古代中国の自然・生理観に見る) [鍼灸常識の問題点]

 “気”とは、本来、古代中国(前漢~漢時代)の自然観や生理観であり、様々な人体の機能を想像・推理して整理分類した概念に他なりません。
 
 “気”は、最近では何やらまか不思議なエネルギーのごとく語られ、“生命エネルギー”などと誤解を招く言葉と同様に使用されています。大昔の思想を盲信している鍼灸師や、興味本位のマスコミが、全く知識のない一般の人を扇動しています。

 “生命エネルギー”などという、一見普通に存在するかの様ないい加減な言葉が平然と語られています。これは何でしょうか?漫画の「ドラゴンボール」に出てきた、「元気玉」の様に捉えているのでしょうか。言い換えれば、漫画的人間が増えていることも要因の1つではあります。

 我々が知る全ての生物が、生き、活動するためのエネルギー源は“ATP:アデノシン3リン酸”です。生物学を少しでも学んだ人なら誰でも知っている基本的な物質です。このATPのリン酸基が1つ外れる時に放出されるエネルギーによって、生物は代謝などの活動を行い生きることが可能となります。いわばATPは、生命にとっての電池であり、この電池を主に生産しているのは細胞の中にあるミトコンドリアです。

 ところが、妖しげな、”気”や意味不明の“生命エネルギー”などを、盲信している人たちが考えているのはどーも違うようです。ATPの知識の有無とは関係なく、もっと未知の力の存在を信じていて、それは未だ発見されていないだけだと信じています。

 この話はバカバカしいのでこの位にして。

 諸々の科学的に未解明な現象と、古典の記述内容をごちゃ混ぜにして解明しようとすると錯綜し混乱を招きます。先ず、“気”という言葉の起源となった、「黄帝内経素問・霊枢(以後内経と略)」の記述から簡単に整理して述べます。

 内経医学では、「精・気・神」によって人体の生理機能を考えています。
 
 “精”は、1つには、生殖によって両親より受け渡される何らかの物質およびエネルギーを想像したものです。さらに、2つめは、食物によってもたらされるものを、エネルギー(食気)と物質に分け、この物質を“精微”と呼び、動脈中及び静脈中を行くものに分けています。“気”も、動脈と静脈中(“濁気”)を行くものに分けて考えています。

 つまり、漠然とではありますが、消化吸収や食物の栄養素を想像しています。また、動脈と静脈の違いは、死後の血管を切断した際に、血液が入っていた静脈と虚血状態の動脈を区別して、その意味を想像したものです。医学的な動・静脈の区別や、血液循環の認識は全くありません。心臓は血管と繋がったターミナル的存在としての観察で、心臓のポンプ作用による血液循環の認識はありません。身体に感じる鼓動が心臓の拍動であることには気づいておらず、“宗気”と呼ぶ気の作用の1つ(後で説明)として考えています。(従来の漢方の考えでは、心機能を理解していたと判断していますが、これは過大解釈です)

 少々話が逸れましたが、その他には、気候の変化を”六気”、病気の原因の基を“邪気”、病気に対しての抵抗力を“正気”、精神状態の現れを“神気”、経絡に流れるエネルギー及びその作用を“経気”、臓器の機能や状態を各々の臓器の名前をつけて“~気”、などと、切りがない程多くの“~気”があり、人体の生理学的機能を想像して名付け、分類した概念です。

 内経の生理観の最も基本的・原初的概念が示されている「経脈別論」について、その解釈と説明はこのブログに書いていますので読んで下さい(10月9日)尚、内経の生理観を語るには、多くの漢方書・中医学書の基本となっている、霊枢:営衛生会篇中の“三焦”についても私の新解釈を説明する必要がありますが、長くなりますので、“宗気”や心機能についての説明なども後日にします。

追伸
この記事の内容は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも詳しく記しています。
本書は市販はしておりませんが、希望される方には個人的に販売しております。詳しくは、カテゴリーの「出版のお知らせ」をご覧ください。

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