「経絡」の誤解(その2 経絡本体と経絡図の違い) [鍼灸常識の問題点]

 経絡の概略を述べる前に、前回書いた、「経絡本体」と「経絡図」の違いをもう一度簡単に説明します。

 「霊枢:経脈篇」の記述を率直に読めば、その具体的な内容から実際に解剖して詳しく観察したことが理解できます。また経脈篇には、メインルートである正経十二経脈が体表を走行するものでないことは明記(一ヶ所の例外を除き)されています。
 
 現代に伝わる経絡図は、腹部内臓周辺の走行は削除して、抽象化および簡略化した図を体表に示し、四肢の領域については、神経・血管の位置や走行は示し安かったため、ほぼ本体に近い形で体表に投射させて描かれています。
 
 「経絡」の走行を神経・血管で証明しようとした多くの研究者は、四肢ではほぼ一致するが、腹部は全く一致しないとして断念しましたが、この原因は内経以後の、省略され簡素化して示した図と概念を対象としたことにあります。この過ちは解剖学の専門医も犯していますが、その原因は、彼らは根本となる原典について調査・研究していないからなのです。
 
 臨床的には、四肢では神経・血管の位置は経皮的に捉えやすく、治療にも支障がないため、利便性からもこの図が普及し、科学としての解剖の衰退と相まって、経絡本体への感心は消失していったと考えられます。

 そもそも「経絡」の存在をを想像し、解剖によって検証しようとした動機は、刺激による身体を伝わる感覚や治療効果を生み出す器官の存在を突き止めたかったと考えられます。それは当然具体的な器官でなくてはならず、しかも、身体を縦横に結ぶためには、それは管状あるいは紐状の構造物でなければなりません。過去には、経絡をリンパの流れであると主張した医師がおりましたが、肉眼ではっきりと観察される器官でなければ古人が発見することはできません。経絡の発見と構成は極素朴で地味な観察の集大成であったと言えます。、  
 
 私のこの推測を裏付ける資料として、1970年代に、中国湖南省長沙市の馬王堆漢墓で発見された出土医書(その全貌は未だ解明中で、一部は日本語に訳されています)があります。この医書は内経医学のルーツであると考えられていますが、この中に記された経絡は四肢を中心としたものであり、腹部や頭部の内部の観察には至っていないことが分かります。
 
 また、余談ですが、、全経絡を一枚の平面図に書くことは至難の業であり、当時の知識と技術では不可能であったと思われます。私は、論文作成の際に、各経脈の走行図を書いた者として痛感しています。

 「経絡の概略」に続く

追伸
経絡構造の全容については、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」に記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。
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