「肝」の病症-中医学の問題点 ① [黄帝内経の疾病観]

 『「肝」にみる、内経の蔵象観-1.~4.』の中で、蔵象観の起源とその後の誤った発展過程について述べてきました。今回は、「肝」の病症観から、現代中医学における病証分類について、その問題点を考えてみます。

 先ず、「肝」の機能と病症についてのこれまでの記述を総括し、現代の中医学における「肝の病証」と比較します。

Ⅰ「肝」の具体的な機能

蔵血,生血気,思惟,主筋,主目
 (注:陰陽五行説の五臓の色体表による分類は古代における思想的分類であるため省略し、あくまでも具体的な機能に限定しています)

Ⅱ 病症観の起源となった疾患

「素問:大奇論篇」の“肝雍”の肝硬変・「素問:脈解篇」の“頽疝”のフィラリア症

Ⅰ.Ⅱ.によって形成されたと推測される「肝の病症観」

Ⅰ.血液を統括する機能の異常によって生じると認識した、筋,精神,目の病症 (その原点   は、肝硬変の病症から正常機能を想像したもの)

血 : 出血(鼻血、下血など)
筋 : 筋力低下・麻痺,痙攣,異常運動,筋・関節痛
精神: 精神障害,錯乱,せん妄,意識混濁,昏睡,精神的興奮
目 : 視力低下,めまい

Ⅱ.肝硬変・フィラリア症の、“症状”による認識

腹水,四肢・顔面の浮腫,陰嚢水腫(肝硬変・フィラリア症)
筋・関節痛(フィラリア症)
筋の萎縮,痙攣,異常運動,不随意運動(肝硬変)
精神障害,意識混濁,昏睡,精神的興奮,錯乱,せん妄(肝硬変)
各種の出血・出血傾向,下血(肝硬変)
排尿障害・尿閉(肝硬変・フィラリア症)  

 肝臓の生理・生化学的機能や病態を究明するための医学・技術がなかったため、もっぱら病症の分類と、当時の自然観・思想的解釈によって体系づけられました。その結果、Ⅰ.Ⅱ.に示した症状が、臓器本来の病態から離れ、これらの症状群そのものが「肝」の病態として認識されました。
 その後これらの症状が、病理学的には全く脈絡の無いまま「肝」の蔵象観・病症として一人歩きを始めることになります。近代以後、これらの症状のみを対象とした医学的解釈が行われたため、「肝」とは、肝臓を超越した多くの機能や病症を包括した概念であるなどとの誤謬が生じました。さらに、内経の記述には存在しない機能までが書き加えられています。

 Ⅰ.Ⅱ.を整理しますと。
 筋の異常(筋痛・痙攣・不随意運動・麻痺),精神障害(錯乱・興奮・せん妄意識混濁),出血(出血傾向・下血),組織液の異常(浮腫・腹水・水腫),排尿障害,目の異常(視力障害・めまい)    

 現代中医学による「肝の病証」はこれらを拡大解釈して、多くの病症を追加し拡張したものです。但し、排尿障害については、現在の中医学書では、「腎の病証」として扱われています。これは近代以後西洋医学の輸入によって、腎臓によって尿が生成されることを知ったためであると思われます。内経当時には、腎臓による尿の生成や輸尿管による膀胱との連絡も発見されていませんでした。体内の水分の移動などに関与するとする程度の認識であり、腎の尿に関する病症の記述は全くの現代医学の借用に過ぎません。(「腎」に関しては別の機会に述べます)    

現在の中医学にみる「肝の機能・病証」

1)「肝」の機能の勝手な追加

 最近の中医学書(1980年以後?)には、「肝」の生理機能として「疎泄機能」が記されています。疎は疎通、泄は発散・昇発であるとし、この機能が正常であれば、気血は調和し、経絡は通利し、臓腑・器官も正常に活動すると解説されています。さらに、脾・胃の機能にも影響し、胆汁の分泌・排泄にまで関わるなどと記されています。結果的に、この機能の異常として多くの病症が後付されています。しかしながら、内経にはこの様な記述も認識もありません。

2)肝の病証の弁証(診断)として記述された病症
                        
 肝血虚・肝陽上亢(肝陰虚)・肝風内動(肝風証)・肝気鬱結(肝欝証)・肝気横逆・肝気上逆・肝火証・肝火犯肺・肝寒証(寒帯肝脈)など、成書によって若干違いますがこの様な証候名によって分類されています。

3)病症の医学的解釈として掲げられた症状

 情緒障害・うつ・精神神経症・自律神経の失調・栄養障害・循環器障害・脳血管障害・内分泌系の障害・運動系の異常・視力障害・結膜炎・月経困難症・肝炎・胆のう炎・胆石・胃腸障害(胃十二指腸潰瘍、過敏性腸障害)・甲状腺腫・乳腺腫・高血圧・突発性難聴・呼吸困難・鼠径ヘルニアなどです。

 多くの証候名と、信じがたいほど多種におよぶ障害・疾患が書かれていますが、これらは何れも、追加された機能の異常や、上記Ⅰ.Ⅱ.の病症によって説明可能です(後述)。問題は、これらが内経の認識を踏まえた上の、健全な発展と言えるか否かです。
 例えば、膠原病は多臓器性の疾患であり、多くの複雑な症状が現れます。私が推測した「正経十二経脈の各経脈病候」の推測では、数種類の膠原病が含まれています。しかし、病症観の起源や形成過程を考慮しますと、これらの節操の無い拡大解釈には無理が有りすぎます。
 肝の病証に見る様に現代の中医学とは、この様なボタンの掛け違いに加えて現代医学を恣意的に都合良く拝借して形成した、極めて危うい理論体系です。
 この様に、矛盾に満ちた中医学ですが(私の仮説)、臨床経験から導き出された考えとして、「肝」は医学的な肝臓とは全く切り離した、別の機能的単位や病態の概念として成立する可能性はあり得るでしょうか。
 現代医学も発展過程にあります。その、行き過ぎた還元主義に対する批判や反省があることも事実です。しかし、その欠陥を補う考え方として、あるいは代替医療としての価値が中医学の体系にはあるでしょうか。私には、病態観の起源とその後の形成過程を考慮すると極めて疑問に思われます。
 
 肝臓は周知のように、体内における代謝の中心で多くの機能を持っており、その機能の障害が多くの病態に関与することも事実です。以外にも、その代謝異常が諸臓器に与える影響についての臓器相関の研究は未だ少ないとも言えます。将来に、全く異なった機能や、他の疾患との関連性が見いだされることもあり得ます。また、臨床経験から得た発想であるため、医学的に説明された機序と符合する現象の記述も散見されます。しかし、何度も述べていますが、内経は臨床的な病証観察には優れていますが、医学的には極めて稚拙なレベルであり、現代医学を超越した発想で病態を推測した訳ではなく、科学的に系統立てた理論ではないことを念頭に置くべきです。

 次回は、現代中医学書における「肝の病証」について、個々の証候について説明します。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。


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