ワクチン接種は必要か中止すべきか [らくがき]

日本における、新型コロナワクチンの接種による死亡数が7月30日までに919人(1日当たり91人)に達した。日は違うが、新型コロナによる死亡数(8月19日現在)は合計15,555人。当然ながら、遥に感染による死亡数が多い。

しかし、直近のデータでは、、それぞれの増加数の前日比を見ると、ワクチン後では1日当たり18.2人で、最近5日間に91人増加し、感染による死亡数では34人となっている。ワクチン後の死亡数の増加は、感染による1日当たりの死亡数増加の53.5%に相当する。しかも、最近はその増加傾向が加速している。

ワクチン接種によって死亡者がでれば、通常はとっくに中止されているはずだ。陽性者に対する死者数は0.1%から0.2%で推移しており、季節性インフルエンザと変わらなくなった今日において、ワクチン接種によるメリットが死亡よりも高いと言い切れるとは考えにくい。

致死率低下の要因として、重症化率・致死率が高い高齢者へのワクチン接種がほぼ終わったことも大きいと考えられる。また、受けいれ側の医療従事者もほとんどワクチン接種が終わったことで、感染しても重症化する危険が以前と比べてはるかに低いものとなっている。これらはワクチンによる恩恵と言える。しかし、要因として、ウイルス自身の変異による可能性も否定できない。

ワクチンの必要性に疑問が生じている一方で、2度のワクチン接種で抗体が完成したはずの人への「ブレークスルー感染」が世界中で報告され、3度目のワクチン接種を行うとする国が増えてきた。米国立アレルギー感染症研究所・ファウチ所長は、12日の会見で「免疫が低い人以外は追加接種の必要はない」というそれまでの発言を翻し、「2度では不十分でいずれ全員が3度目のワクチン接種が必要となる」との認識を示している。

私には、無益な「いたちごっこ」に思われる。そもそも、RNAウイルスに対してワクチンの効果は期待できない。さらに、大量のワクチン攻撃に対する防御として、世界中でウイルスの収斂進化が進み、ワクチンを無効とする変異型が次から次へと出現して脅威の増幅とともにパンデミックの終息を遅延させるのではないだろうか。

デルタ株が最初に確認されたインドでは、現在、感染が激減してレストランやマーケットも通常営業となっている。この要因として、「ロックダウン」の効果だとするのは間違いだ。感染を防御したのではなく、感染が広がったために「集団免疫」ができたからである。インド政府が6月と7月に行った調査によると、主要な8州で70%以上の人に抗体が確認された。人口は13億人、その中の9億人がすでに抗体を獲得したことになる。これはインド全土に感染が広がった結果に他ならない。さらに言えば、新型コロナワクチンには感染を止める効果はほとんど無い。

我が国では「医療崩壊」などと大騒ぎだが、これとても奇妙な話だ。それは、一部の新型コロナ専門病床の話にすぎない。ほとんどの医療機関は正常に稼働している。また、専門病床でのベッドが空きにくい理由は、感染症法上でのコロナの扱いにある。現状はSARS(重症急性呼吸器症候群)並の「2類」相当とされているが、実際の規制内容をみる限り、致死率が極めて高いエボラ出血熱並の「1類」相当の扱いに近い最大級の警戒をしている。これは異常だ。  

政府も国民も新型コロナの実体を冷静に科学的に検証するべきだ。感染症法上の分類は、医療従事者や入院患者への感染と、死亡リスクなどに対して対応するものである筈だ。

季節性インフルエンザは「5類」相当であるが、年間3000~6000人、多い年では10,000人程度が死亡している。また、コロナ同様に人工呼吸器を使用することもある。それでも騒ぐ人はいない。さらに言えば、治療薬のないMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)などの耐性菌による肺炎は「5類」相当にすらなっておらず、通常の肺炎によっても毎年10万人近い人が死亡している。

こうした事情を総合すれば、新型コロナも季節性インフルエンザ並の「5類」相当に引き下げることが妥当と言える。そうすれば、人々の間違った危機意識や、差別、さらに、専門病床の業務負担や病床不足、および保健所の業務なども緩和される(私は、以前より、度々主張しているが)。

何よりも、鍼灸師ごときではあるが、私が最も危惧しているのは、国も、専門機関でさえも、「ワクチン接種後の死亡」の原因究明をしていないことだ。さらに、海外では、新型コロナが空気感染(エアロゾル)することが常識となった今日においても、従来の飛沫感染に対する対応である、アルコール消毒やパネルによる防御、人流抑制などといった旧来型しか訴えていないことだ。