「池の水ぜんぶ抜く」という番組に見る在来種原理主義 [らくがき]

この番組を見ている人たちは、生き物を大量に虐殺することに何ら躊躇もせず、池の中を踏み荒らしながら捕獲を楽しむ子供たちの姿に何を思うのであろうか。

彼らは、今、大量に乱雑に捕獲している生き物たちが、直後には殺処分されることを認識していても、罪悪感は一切感じていないようだ。いや、むしろ大騒ぎして楽しんでいるように見える。聞くところによれば、何処かの都知事も一緒になって胴長姿を披露していたらしい。如何にも、この人がやりそうなことだ。

生態系を乱す、「悪者外来種」を駆除する正義の活動と思っているのだろうが、その意識には、人間は偉いのだという驕りを感じる。

「外来種=悪」の、外来種の「外来」とはいつの時代を基準としているのだろうか。逆に、「在来」とはいつの時代を基準とするのか。例えば、日本人と一口にくくってみても、厳密に、人種としての日本人を定義することなどは不可能。縄文人を日本の在来種とし、弥生人は外来種とでも呼ぶのか。縄文人も弥生人にしても、DNAを見れば、ヨーロッパを含め多くの人種が混じっている。

外来種は全て排除せよと言うのであれば、我々が食べているほとんどの野菜も対象となる。イネもまた、外来種であり、米は生産すべきではないということになる。(一応、明治時代以後に海外より国内に入ってきた生物を外来種と呼ぶそうだが、、、。)

生態系を保護して乱さないという理念には賛成するが、生態系は複雑であり、偏見による行き過ぎは逆に生態系を乱す可能性もある。例え、人が運び込んだ生き物であったとしても、それもまた現在の自然の姿だとも言える。

学者の意見として、在来種と外来種との交雑によって、両親種をしのぐ雑種が形成されて(侵略性の獲得)在来種が駆逐されることが問題視されている。しかしこの現象は、交雑による新たな遺伝子型の創出によって遺伝的多様性と適応度が向上し、雑種強勢ないしは劣勢な遺伝子の発現を抑制する結果、種の生存にとっては有利に働く側面もある。

個体数が減少した種では、遺伝的多様性の低下や近況弱勢によって適応度が低下している。これらの種の減少には理由があるはずである。自然の摂理と言える絶滅を、人為的な介入によって保護して回復させようとする行為に意義があるとは考えられない。

さらに、固有種を守ると言いつつ、一方では、この様な希少種救済の手段として他個体群からの個体導入による遺伝的改善が保全生物学で行われることがある。しかしこれは、自ら、国内外来種を創出しているのであって、全く以て勝手な理屈と言うしか無い。

そもそも、厳密な意味において生態系に固有種などは無く、固定的な「在来種」などは幻想に過ぎない。生態系は時代の移り変わりとともに変化するもの。その時々の、人間の勝手な解釈や都合で安易に介入すべきではない。

番組の中で駆除されていたアメリカザリガニなどは、私の子供の頃にはごく普通に近所の川に住んでいた。その起源が、アメリカから観賞用に輸入されたものであったとしても、とっくの昔から、何事も無く日本の環境の中に溶け込んで生きてきた。外来種とは言え、これらの生き物たちには何も罪は無い。私には、この人達は「在来種原理主義者」に見える。

むしろ、何も恥じることなく世界一ペットを大量に輸入し、平気で捨て去る。この国の人間にこそ重大な過失がある。動物たちの悲劇を救うには、ペットショップに対する厳重な規制と、飼い主への啓発および何らかの法規制こそが必要であり、急務であると言いたい。

私は、この番組は一回だけ数分見ただけなので、誤解や偏見もあるかと思う。有益な面もあったのかも知れない。しかし、慎重に執り行うべきであり、この様に、イベント化して騒がしく行うことではないと思う。

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