幻想と作為の検査正常値 [医学・医療への疑問]

医学の進歩は皮肉にも、健康の定義をより分かりにくいものにしました。そもそも絶対的健康はあり得ません。だからこそ逆に、「健康」と言う名の幻想に対する欲望が存在し続けるのでしょう。

医学はこれまでに、新しい正常値を作り、基準を書き変えてきました。医師たちは 新しい検査法によって、新しい異常値を設定してきました。その結果、医療機関のみならず、製薬会社やその他の関係企業に新たな利益を生み出してきました。

例えば高血圧では、正常値は次第に下げられ降圧剤の投与の対象者を増やし続けています。多くの人が気にするコレステロールの正常値は、日本ではつい最近までは250mg/dlでした。ところが、海外での研究結果から、220mg/dl以下にまで下げられました。非常に不可解なことに、この時期は丁度、高脂血症の画期的な治療薬と言われたメバロチンの発売の半年程前のことでした。日本人ではコレステロール値は250~220mg/dlの範囲が非常に多く、基準値を下げることでマーケットの拡大を企んだとも思えるのです。

血液検査値は年齢で変化するものが多く、また、65歳以上のデータはありません。ところが、この様な問題はほとんど無視され基準値との比較だけで判定されます。また、高齢者では検査結果の個人差が大きくなることや、そもそも、病気を持たない高齢者は少ないことなどが議論されることもありません。

血液検査の結果、そのデータが正常範囲を超えていれば、心配する程ではないと言われても、誰でも気にするのは人情です。しかしながら、正常値はあくまでも平均値に過ぎません。1つの項目が異常値であったとしても、これのみで直ちに疾患名が特定できるものでも、病気であるとも言えません。

一般的に、医師も患者も検査値に過大な信頼、あるいは信仰?を抱いていますが、実際は極めて不確かなものです。統計学には「ベイズの定理」という手法があります。最近では、この「ベイズの推定」を迷惑メールの選別に使用した、「ベイジアンフィルター」もありますので、知っている方も多いと思われます。

この「ベイズの定理」を使って検査値について考えてみますと。今仮に、ある病気を発見するための「A検査法」があったとします。「A検査法」は、実際にこの病気に罹患している人々の内97%の人を発見できる(陽性率)検査法とします。また、この検査を健康な人々に摘要すると、その5%に誤った陽性率が出ます。さらに他の軽い病気のある人に摘要しますと、10%に誤診の可能性があるとします。この3種類の型の人々の、多数の集団での割合は各々1%,96%,3%であるとします。ある人がこの検査を受けて陽性と出た場合、実際にこの病気に罹患している可能性はどの程度だと思いますか?通常では、この段階でこの病気を疑い、さらに詳しい検査や薬の投与も始まるかも知れません。しかしながら、「ベイズの推定」にて計算しますと、何と、この病気である可能性は16%でしかありません。つまり、この検査を受けて病気と判断された100人の内、84人は誤診であったということです。97%の陽性率は検査法の中では高い方ですが、それでも診断のうえではこの程度の信頼性しかありません。

そんな馬鹿なと思うのも無理はありませんが、これが事実です。実際は、検査値は極めて危うい数値です。正常値も時代と共に、その解釈や定義は変化します。その基準値の設定の変更は、時に、市場を睨んだ作為的な場合もあるということです。

画像診断の進歩は、自分が健康であると思うだけではもはや済まない、という不安を増幅し、検査や医師のお墨付きといった健康管理への誘導が起きています。MRIのような鋭敏な検査によって、無症候性の脳梗塞、脳腫瘍、腰椎椎間板ヘルニアなどが見つけられる事態になっています。無症候性脳梗塞は40歳代で5%、50歳代で12%、60歳代で25%、70歳代で30%に認められます。これが意味するところは未だ結論は出ていません。高血圧症などの合併が無い限りは気にする必要はないようですが、知ってしまった者にとっては、その後を穏やかに過ごすことは難しくなります。

80歳代の老人に動脈硬化予防のために食事指導をすることや、癌の手術をすることはナンセンスです。むしろ、自分の好きな物を食べ、楽しく生活することがQOL(生活の質)の観点から選択されるべきではないでしょうか。

先述したように、絶対的な健康はあり得ません。幻想を追い求めるのではなく、不十分な健康・半健康こそが一般的な意味において、普通の人の健康状態と言えます。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0