“宗気”で読み解く内経の真実 [黄帝内経の生理観]

 “宗気”についての「内経」の記述を率直に読み解くと、当時の生理観と中医学の発展の経緯の真実が見えてきます。それは、現代針灸学・中医学が掲げる“気”の理論や認識の否定でもあります。
 
 “気”に対する誤解や幻想については、これまで少しずつ書いてきました。古代中国(内経)では、人体の様々な機能・エネルギーとその物質的基礎を“気”と呼んで整理し、理論付けてきました。それはまか不思議な未知のエネルギーなどではなく、医科学の未だない時代の人間が生命・人体について考察した努力の軌跡でもあります。
 様々な「気」の中に、“宗気”と呼ばれるものが有ります。では、“宗気”とは何者でしょうか。

 先ず、一般的針灸学書・中医学書の解説では、「宗気は、肺に吸入される清気と、脾胃の運化作用によって生成される水穀の気とが結合して作られ、胸中に蓄えられる。宗気には、肺の呼吸作用と心血の運行を推動する機能がある」と記されています。

 この“宗気”の解釈の根拠となっている、「内経」の記述を検討します。素問:平人気象論によれば、「…胃之大絡.名ハ曰ク虚里.鬲ヲ貫キ肺ニ絡ス.左乳下ニ出デ.其ノ動キ衣ニ應ズ脈ノ宗気也…」と記され、霊枢:邪客篇には、「…宗気積於胸中.出於喉龍.以貫心脈.而行呼吸篶.」と記されています。

 この記述を見て、先ず素直に解釈するべき部分は、「…其ノ動キ衣ニ應ズ脈ノ宗気也.…」です。この具体的な観察に蓋をしてはいけません。これは、運動の後などに脈が激しく打っている様子を表現したものです。その時の、心臓の激しい鼓動が服にまで伝わって目でも見えると説明しているのです。つまり、心臓の鼓動を心臓の拍動として認識できておらず、この鼓動を“宗気”なるものの活動として捉えたものです。また、上記に示したような、医学的な「呼吸」の認識は当時には存在しません。“宗気”とは、決してまか不思議な未知のエネルギーなどではありません。医学知識のない者の稚拙な想像にすぎません。

 「胃の大絡」とは、「絡脈」の中の1つです。それは、一般的に言っている「経絡」の“絡”で、「正経十二経脈」の支脈に当たる流れを「絡脈」と呼んで分類しています。

 「絡脈」の説明は後日、「正経十二経脈」に対する私の仮説の説明の後で書くつもりですが、その流注(流れ)についてを簡単に説明します。
 
 胃の大絡を、内経の時代の視点で、肉眼的解剖学で解いていきますと、「左胃動脈の食道への分枝に進み横隔膜を貫き[固有食道動脈,左気管支動脈(食道中部は左気管支動脈より栄養を受けている)を経て]肺に結ぶ。(これらの動脈は各々のレベルで大動脈に入り心臓を抜ける。さらに、[大動脈より鎖骨下動脈を通り内胸動脈へ入り、]その分枝の心膜横隔動脈及び貫通枝にて左胸郭前部に浅く出る。」と、解釈できます。

 「胃の大絡」は左乳下に感じられる鼓動の本体・源泉を究明しようとして考え出されたものです。左乳下に感じられる鼓動の重要性は認識していました。しかし、死体の解剖では、それが心臓の拍動によるものとは解明できませんでした。この鼓動の源泉を求め左乳下を解剖すると、前胸部に浅く出る動脈を発見しました。この動脈を中枢へと辿ることによって、内胸動脈より鎖骨下動脈,大動脈へ連なることを確認しました。また、胃からは左胃動脈の分枝が食道へ分布し、さらに上って左気管支動脈に連なり、これらの動脈が直接大動脈へ入ることも発見したと推測されます。これらを一連の系統として位置づけ、「胃の大絡」と命名したものと推測できます。

 臓器の内容物や、位置関係と血管の走行より、胃からは食物の栄養を、肺からは何らかの物質(空気)を取り込むと想像し、この水穀の精微と空気とが結合したものを“宗気”と捉え、この力を営気と衛気の循行の推進力として考えています。

 「内経」では、血液循環に於ける心臓の役割については全く理解できていないことを念頭に置くべきです。霊枢:本神篇中の「心は脈を蔵し」や五臓生成篇の「心の合は脈なり」は心臓を血管のターミナルのように認識したものです。体表面に伝導する鼓動を心拍動によるものとは究明できず、食物の栄養と空気が結びついて生じた一種のエネルギー(宗気)の活動として認識しています。鼓動は心臓の活動ではなく、宗気の活動の表象であり、胃の大絡はその通路として想定したものです。
 
 動脈に注目したのは、死体では動脈は収縮し虚血状態であるため血に変化する前(肺に行って血に化生する:中焦の解説)の気の成分を通す管として選択したものと思われます。
 
 胃から吸収した精微を肺へ運ぶ方法としては、「胃の大絡」と「肺経(私説)」の腹腔動脈より、一端腸間膜動脈を迂回して大動脈より心臓を抜けて肺に至る経路の二通りを考えており、肺経は経脈のスタートとして位置づけています。
 
 「胃の大絡」は、腸を迂回せず直接肺と結ばれることでより速く激しく活動すると考え、鼓動の印象に対応させ、経絡全体の動力源として位置づけたものと考えられます。霊枢:邪客篇による「…宗気積於胸中出於喉龍以貫心脈…」の「胸中ニ積ル」とはその太さより胸大動脈に集まると考え,「喉龍ニ出デ」は大動脈弓より総頸動脈に出る、「心ヲ貫ク」は大動脈より心臓へ入ることを示すものと解釈できます。また、霊枢:刺節真邪篇による、「…各行其道.宗気留於海.其下者.注於気街.其上者.走於息道…」の「海」は大動脈であり、「気街ニ注グ」とは外腸骨動脈が鼡径部を通過する部位です。「息道ヘ走ル」は上行大動脈や肺動脈を気管と誤認したものと考えられます。
 
 以上のように推測すると、内経当時の生理観とその想像の過程が良く見えてきます。血管の走行は詳しく観察していますが、その論理構成は思想・思弁的で極めて稚拙なものです。これは医科学の未発達な時代にはやむを得ないことでした。しかし、その後の思想的完成と科学の衰退によって進歩は停滞し、さらに、後の時代になり、西洋医学の無秩序な借用によって論理が錯綜し今日に至っています。今後の針灸学・中医学に求められることは、古典の誤りを誤魔化すのではなく率直に認めて排除し、新たな理論を構築するscrap and build の精神です。

追伸
本記事は、拙著「中医学の誤謬と詭弁:2015年1月出版」にも記されています。本書は、黄帝内経における臓腑経絡概念の本質を解読・検証したものです。市販はしておりませんが、希望される方には、個人的に販売しています。申し込み方法は、カテゴリー「出版のお知らせ」をご覧ください。



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