「中医学の誤謬と詭弁」を出版 [出版のお知らせ]

「中医学の誤謬と詭弁 -黄帝内経における臓腑経絡概念の本質-」を出版しました。

「中医学の誤謬と詭弁-黄帝内経における臓腑経絡概念の本質-」

本書は、鍼灸学の源流である、「黄帝内経素問および霊枢」における臓腑経絡概念に関する記述を、当時の医科学レベルの視点に基づいて医学的に解読し、その本質を解き明かしたものです。

現代の中医学・東洋医学は、黄帝内経以後における医学的衰退と思想的解釈による誤謬に基づくものです。さらに、近現代における医学知識の勝手な借用による意釈によって、あたかも、古代の中国において、現代医学にも比肩する別系統の医学が存在したかのごとき、あり得ない詭弁が一般常識となってしまいました。

現代の中医学・東洋医学の根幹を成す理論とは、誤謬と詭弁による誤った概念が普遍化したものです。鍼灸が医学の一分野となるためには、古代の思想から脱却して誤りを是正することから始めなくてはならないと考えます。したがいまして、本書における黄帝内経の解釈は従来の常識とは全く異なっております。

本書の内容は、2000年7月~2002年3月までに「医道の日本誌」に掲載された、正経十二経脈、絡脈、および奇経の解剖学的解読と、是動病・所生病の医学的診断の内容を一部訂正し、さらに、臓腑の機能と病態に関する内経の記述を医学的に解読したものを総合してまとめています。

黄帝内経における臓腑経絡概念の本質について筆者独自の解釈によって、現代の中国医学の根本的な問題点を指摘しています。

下に、「はじめに」の一部を抜粋して紹介しています。

著者名 : 小川義裕
発行所  : 虎の門針灸院
出版日 : 2015年1月6日初版
本のサイズ : A5版, 316ページ
ISBN 978-4-9908155-0-9
C3047 ¥ 6500 E

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「はじめに」の抜粋 
 
 中国医学(以下中医学と略)には、蔵象学説と経絡学説によって構成される「臓腑経絡学説」と呼ばれる診療理論が存在する。これは、古代中国の医学書である『黄帝内経』を源流とする、中医学における中心的な理論体系であると言われている。蔵象学説は、各臓腑の生理機能や病理現象と臓腑の相互関係を体系的に論じたものである。蔵は臓腑のことであり、象とは臓腑の生理機能および病理的変化を意味する。中医学では、『黄帝内経』における臓腑とは、個々の臓器の生理・生化学的機能の範囲を超越したものであるとされ、医学的な複数の臓器機能を包括的に捉えた概念であるとする考えが定説となっている。また、医学雑誌などでも、五臓(肝・肺・心・腎・脾)は西洋医学の臓器とは一致しないなどと述べられている。
 
 しかし、古代中国において、臓器機能を正確に認識することは不可能である。『黄帝内経』における記述では、臓器の定義こそ存在しないものの、三焦を除けば、臓腑の名称と現代医学における臓器は同一のものである。医学知識も検査機器も存在しない時代において、臓器機能や病態を認識するための可能な方法は、臓器の肉眼的観察からの想像や、剖検による形態の異常と生前の病症を対照させて推測することである。『黄帝内経』が、臨床観察に基づく病症のパターン認識能力に優れていたことや、解剖も実際に行われていたことがその根拠である。実際に、原典に記された病症には、特定の疾病を正確に認識しているものが多く認められる。

 一方、個々の患者の診断になると話しは別である。病症だけで鑑別することは、現代の医学においても困難である。それは、多くの疾患に複数の似通った症状が見られ、診断特異的な症状が存在する疾患が少ないことによる。まして、古代中国の医学水準では不可能である。病症のみによる診断の問題点は当時の医師も認識しており、前漢の有名な医師であった淳于意(文帝13年, BC167年生)の話にも残っている。それは、病症には互いに似たものが多いので、古の聖人は脈法を作ったというものであり、この脈証ごとに百の病を区別して分類したと記されている。この話から、脈診による疾病分類の動機を伺い知ることができる。この脈証による診断法が影響してか、その後の中医学の歴史において、病名による分類と病理学的究明が発展することは無かった。疾病の症状はその原因となる臓器から分離され、病症によって集約された「証」と呼ばれる概念による診断法が発展した。その結果、現代医学の診断とは大きく異なるものとなった。加えて、想像による稚拙な臓器機能の認識を現代医学の先入観で捉えることによって、臓腑を、複数の臓器機能を包括的に捉えた概念であるなどとする誤謬が生じた。このような誤謬を助長する大きな要因は、中医学書に記された臓腑機能に、中国の医学史における認識には存在しなかった医学的な機能の借用が行われたことにある。このような詭弁によって、古代中国において、現代医学にも比肩するような別系統の医学が存在したかの如き、あり得ない非常識が普遍化してしまった。さらに、蔵象観の本質を知らない医師たちによって、古代中国の五行説をシステムネットワーク医学であるなどと吹聴されている。しかしながら、世界が「木・火・土・金・水」によって成り立つとして、この5元素の関係で森羅万象を説明するような古代の思想を、システム論的などと評価するのはあまりにも稚拙である。このような誤謬の根本原因は、『黄帝内経』における五臓六腑に関する記述を自ら検証せず、現代医学知識の先入観によって過大評価したことにある。
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 臓腑経絡弁証や八網弁証を主とする「証」による診断は、中医学の特徴として認識されている。しかし、これらの弁証法や「証」による分類法は、本来、『黄帝内経』には存在しない概念であり、後世に作られたものである。『黄帝内経』は、長年月におよぶ詳細な臨床観察と解剖実践の知識を基にした実証的合理性を備えており、後世の思弁的な中医学に比べ遙かに優れていた。『黄帝内経』には、経脈病候と呼ばれる正経十二経脈の名を冠した疾病分類や、個々の疾病を単位とする疾患名も記述されている。病症記述には特定の疾病を正確に認識したものが多く認められ、それらの疾病の症状群を詳細に観察しており、医学的な診断も十分可能である。『黄帝内経』の理論は、医学が未発達な時代の自然観を基にした想像によるものであるため、その理論は稚拙であるが、病症観察は具体的で記述には実質的な価値が認められる。したがって、これらの病症記述の背景にある病態を、医学的に解読することで蔵象観の本質が明らかとなる。従来の解説書は言語学的解釈に偏重しており、文字の背景にある医学的な意味を解読する視点に欠けていたことに大きな問題がある。さらに、後世における思弁的解釈に、現代医学知識を都合良く借用して補足した結果、理論が錯綜して『黄帝内経』本来の意味とはかけ離れた蔵象観が形成されたものと言える。

一方、経絡学説とは、気血が運行すると考えられている一種の通路の循行経路(以下流注)である経絡と、臓腑との関係を論じた学説である。経絡は、正経十二経脈と呼ばれる主流と、支流である絡脈、奇経、および経別と呼ばれる正経脈の別ルートを総称したものである。また、経絡上には経穴と呼ばれる特異な部位が想定され、臓腑などの身体の異常が現れる部位であると同時に鍼灸の治療部位となっており、現代医学には存在しない診療概念を形成している。
経絡は未だ未解明であるが、一般的には、構造的実体は無く脳内にそのようなパターンが存在すると考えられている。しかしながら、未だかつてそのようなものが発見された事実はない。この認識は、神経・血管の走行と経絡の流注が一致しないことを根拠としているが、そもそも、解明の対象とした経絡に根本的な問題がある。失敗の原因は、原文を忠実に解読しなかったことに加え、後世に描かれた経絡図を基に身体浅部の神経・血管によって解明しようとしたことにある。最も特徴的な誤謬は、体幹部の流注の解釈にある。経絡図は、身体表面に投影させ簡素化して描いた模式的なものであるが、原典である経脈篇に記された流注は具体的で、なおかつ、身体内部の臓器周辺を走行しており経絡図とは大きく異なっている。経絡とは、内部臓器からの放散痛など、体表面に感じられる感覚や治療刺激による一連の反応に、その起源となる内部構造を照合して構想した概念であると推測される。したがって、肉眼的に確認できる構造を有する、神経・血管を連ねて構築したもの以外にはあり得ないと考えられる。一方、経絡現象は、神経反射の連合など、複数の生理学的現象が交錯し、重なり合って生じた影絵のごときものであり、その全体像は構造としての経絡とは必ずしも一致するものではないと考えられる。したがって、先ず、原典である経脈篇に記された流注を解剖学的に解読し、経絡現象を含めた経絡概念の全体像の究明とは切り離して取り組むべきである。
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「第9章 総括と鍼治療学への展望」の抜粋

9.1 総括

 蔵象観の本質について、病症記述の医学的診断によって検討した結果、三焦以外の臓腑は現代医学における臓器と同義であり、その機能や病態はそれぞれの臓器について考えられたものであることが明らかになった。また、三焦は、網嚢を含む腹膜腔全体を臓器として認識したものと推測した。五臓の病理観は、病死した患者臓器の観察から認識した異常と、生前の病症観察との照合による推測が中心となっており、これに臓器内部の性状や周囲の神経・血管の分布と臓器間の連絡などから推測したものが含まれると判断した。

 一方、六腑については、臓器の内容物や排泄物などの観察による素朴な認識であった。
 『黄帝内経』の際立った特徴として、長期間におよぶ臨床観察と相当数の解剖を基にした、病症のパターン認識能力の高さがある。しかし、古代においては、臓器の病態を病理学的に究明する手段や知識も存在しなかったため、当時の自然観や思想的な解釈による想像によって蔵象観を構想した。後世になると、科学的な病態究明の意識は消失し、原因となる各臓器の病態から病症のみが離れて一人歩きを始めてしまい、やがて病症や脈診を中心とする証による分類が発展し固定されることとなった。その後、思想的完成と相まって、医学的にはさらに衰退していった。衰退の原因は、千変万化の病理現象の全てを、五行説などの思想の枠組みの中で説明するようになり、科学的な実証研究の姿勢が失われたことにある。研究対象は人体から古典に準拠した考証へと変わり、理論体系の閉鎖性を招いた。後世になると、もはや、『黄帝内経』の記述が検証されることはなく、その本質が理解されることはなかった。この傾向は、中医学の歴史のみならず現代においても同様であり、中医学における学派や書物は数多くあっても、古典をなぞるだけの万世一系である。現代中医学においては、さらに悪いことに、近代以後に導入された医学知識を都合良く借用し、恰も古代中国において、現代医学と同様の認識が存在したかのごとく『黄帝内経』の本質を歪曲したため、結果的に理論が錯綜することとなった。これを、『黄帝内経』の記述を自ら検証しない医師達が、医学知識による先入観によって解釈し、過大評価したことで、本質とはかけ離れた認識が普遍化する結果を招いたと言える。これが、誤謬と詭弁を重ねて形作られた、中医学における蔵象理論の本質である。

 経絡とは何かであるが。本書では、経脈篇の記述が具体的であることから、神経・血管を連ねて構想した概念であるとの仮説を立て、原文を忠実に解読した。その結果、対象とした経絡の全ての流注を説明することができた(奇経については、督脈、任脈、衝脈以外は流注記述の情報量が少なく、解読は断念した)。さらに、経穴の存在する領域を想定し、『黄帝内経』中に記された全経穴と比較検証したところ完全に一致した。これらの結果は極めて重要であり、仮説の信憑性を示す証拠と考えている。これまでの、経絡研究の問題点は、「経絡図」、「経絡現象」、および「構造としての経絡」の3種類を、全て1つの理論で説明しようとしたことにある。経絡図は、簡素化して身体表面に投影させて描いた便宜的なものであり、経絡現象は、複数の神経の吻合やバイパスを通じた連絡や、脊髄レベルにおける反射の連合などによって生じた現象であると推測される。古代中国の人間は、これらの複数の現象が重なり合って生じた、恰も、影絵のごとき現象から経絡概念を発想したものと考えられる。さらに、この現象の起源を身体内部に求め、解剖して神経・血管を発見した。さらに、想定したルートに従って辿ることによって経絡概念を構想したものと考えられる。したがって、構造としての経絡と経絡現象は一致するものではなく、経絡の全体系そのものには実質的な意味はないと考えられる。したがって、経絡の全貌が、そのまま体系的に意味を成す可能性は極めて低いと言わざるを得ない。今後、医学としての鍼治療学を発展させるためには、従来の固定概念を捨て、神経と臓器間のネットワーク構造を考慮して新たな経絡像を構想すべきであると提唱する。

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